支配の否定に抗う権力者
日本人の現在の立ち位置を理解する。
江戸時代→民(躾け) 将軍
明治時代→国民教育 エリート
平成時代→市民教育 カリスマ
令和時代→地民教育 不在
子供の意味付けが明治から変わった。
江戸時代までは、子供は親の所有物で明確な教育など無かったが武士の子息などは、寺子屋などの学問教育がなされていたが一般の農民の子息などは教育から無縁だった。
子供に教育を受けさせる制度改革が行われた背景に明治時代の世界情勢が関わっている。
世界は、帝国時代で富国強兵が国の政策課題であったので一般の民を優秀な労働者に育てなければならない国家の事情があり民の人財化を施す事で教育を通じて税金という財源確保や拡大に資すると判断された。
親にとっては教育という税金を新たに払わなければならなくなった。
江戸時代の徳川は将軍家であり、所謂王様であり王様の支配を否定する事で明治維新が起こり明治政府という全体主義政治による国民教育が施された。
江戸時代の民は村社会が全てであり、親の所有物でしかなかった子供には親の価値観に基づく躾けが行われていた。
明治政府のエリート達が民を労働者に作り変える為に国民という意識を植え付ける為の教育を行った。
国民教育がテーマにした理念は国家に対する服従心と国民としての団結心を育むこと。
国民教育は明治から昭和に掛けて続き平成になってようやく新しい教育のテーマが求められるように変わってきた。
市民教育が新たに打ち出された。
市民教育は、民主主義の成熟が齎す人権尊重の意識から発生する。
市民教育は個性や競争をテーマにした教育理念である。
しかし、市民教育は正しい理解を得る事が出来なかった。
個性を優秀なとか利的な意味あいで受け止めた事でモデルケース的な個性の複製が多く生まれた。
その為に競争は同じもの通しの競争になり潰し合いが始まった。
同じ様な個性なら替えが効くから選ばれない者はスペアでしか無くなってしまった。
そして、いよいよ新しい時代がやってきたのだ。
所有と独占の時代から分配と共生の時代である。
人間関係が非常に大事になる時代であり、繋がりと共生がテーマになる。
国民教育は同一性が重要。
市民教育は代替性を訴求。
では次なる教育は何がテーマなのか?
非代替性(かえがきかない)
多様性の追求とは希少性の創造である。
地民教育(多様性と希少性)
唯一無二な存在を作り出す教育が求められる。
オンリーワン
多様性が作り出す小さな村社会。
コミュニティの重要性が社会全般に認知され新しい経済原理が社会を発展させていく時代。
新しい経済原理は一部で既に認知されている評価経済である。
他人に自分の存在を知ってもらう事で何らかの評価が発生する。
その評価によってさまざまな形で援助を受ける事が出来る。
その援助を社会に還元する事でさらなる評価に繋がる。
評価→援助→還元→評価→援助→還元
このサイクルで発展していくのだ。
新しいお金の流れが生まれる事で、新しい信用経済が生まれる。
古い銀行システムが廃れ新しい銀行システムが誕生する。
あなたが新しい時代の銀行であり、ATMであり、お金になる時代なのだ。
新しい経済学ではまずクラウドファンディングを学ぶ事から始まる。
日本人の金融資産額は1948兆円。
民間企業の保有資産額は1275兆円。
これだけの巨額のお金が動けば日本の経済発展は約束されたようなものである。
子供を家庭の所有物から国民の資産化という国家の都合で計画された政策によって時代が支配の否定に向かうという逆説を生み出した。
さらにその副産物として子供の人権が確立する事になった。
支配の否定と共に教育の否定も始まる。
国家がメディアと教育機関を使って嘘を垂れ流してきたからだ。
新しい時代の新しい経済学である評価経済が彼らにとどめを刺す時が来るだろう。
それもこれも最後の悪あがきをしている権力者共の暴走に足元を攫われないように注意し冷静に物事を判断して人を愛して愛される人生を生きられる人間が増えていけば日本は良くなって行けるでしょう。
資本主義
社会主義
犯罪経済
評価経済
現在4つの特徴が入り交ざった状態。
グレートリセットは、逆にチャンスでもある。
嘘と偽物 VS 真実と本物
この戦いに勝利すれば支配からの卒業である。
時代の転換期にある今、時代の流れる方向性を理解する。
支配を否定する方向性に時代が流れているからこそのグレートリセット。
支配を取り戻す計画。
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