出産は親のエゴ
この前、職場で産休中の方が職場に遊びにきていた。生後数か月の赤ちゃんを連れて。
久々に会う同僚に職場は沸き立ち、皆、彼女と赤ちゃんを囲んで甲高い声で「可愛い〜!!」と騒いでいた。
確かに赤ちゃんは可愛かった。
だけど、群がる同僚たちを、どこか冷ややかな視線で見ている自分がいることに気がついた。
「どこが可愛いわけ?」
視覚的には可愛いと思えるのに、
「可愛いとは認めたくない自分」がいた。
それは、私が「出産は親のエゴだ」と、捻くれた価値観を持っているから。
(不快にさせるかもなので、左翼思想無理な方は読まないでください😓)
人生ってそんなにいいもんか?
人間は、一度生まれたら死ぬまで生きなきゃいけない。親が出産の選択をするということは、そこから1人の人間の人生が始まるということ。
人生楽しいこともあるけど、なんなら辛いことの方が多いんじゃないかと私は思っている。少なくとも現時点の私の感覚では、「3割しんどい、5割虚無、2割楽しい」って感じ。
2割のために日々生きていくのって、なんか理不尽じゃないか?2割の内容も、他8割をチャラにできるようなもんじゃないぞ?と。
私は人生に意味を見出せていないので、わざわざ子どもを産んで、子どもにもこの理不尽な人生を生きることを強いようという気にならない。
逆に言うと、出産する人って、自分の人生をそれなりにいいものだと捉えられてるってことよね?子どもを迎え入れてもいいと思える世の中って思えるってことよね?
自分が持てていない感覚を持ち合わせてることが、私はうらやましいんだと思う。
子どもって親に似るけどいいの?
子どもって、必然的に親に似るよね。
遺伝はもちろん、価値観や生活習慣、対人関係のとり方などなど、子どものその後の人生にめちゃくちゃ影響する。
私は、今の自分の価値観や対人関係のとり方が、生きづらさに繋がっているとすごく思う。
私の母は、私と同じように世の中を斜めに見る。皮肉っぽいことを言うときが1番生き生きしているし、人を下に見るような発言をして自分のプライドを保とうとする。
だから母は友達が少ない。世の中の嫌なところばかりに注目して、自分の不幸さを嘆くことを生業としている。ハタから見ていて、「この人幸せになれなさそう」と思う。
そんな部分が、まんま私にも受け継がれている。我が家はワンオペ育児なうえ転勤族で、母との関係が密だった分、より純度の高い母が受け継がれた。
そんな感じで、私が子どもなんか産んだら、きっと子どもが苦労するし、生きづらさを抱えることになる。そう思うから、子どもなんか絶対に産まないと決めている。
あとは、母に対する当てつけ。
「あんたのせいで私はこんなにしんどい。」
そういうアピールの意味合いもあるんだと思う。
とても幼稚。
そんな感じなので、
出産する人は、自分の価値観や生き方にまで自信を持てているのか。何の違和感もなく子どもを作ろうと思えるのか。幸せそうでよろしいですね。
そう感じてしまうのだ。
たぶん皆そこまで考えて産んでない
ていうか、そもそも皆そんな深く考えずに産んでるよね。
周りが出産してるから自分も何となくした方がいいのかな〜とか、人生単調になってきたからハリが欲しくてとか。
うちの母もそれ。
考えたうえで出産を選択できるのは
「羨ましくて鼻につく」し、
深く考えずに出産を選択するのは
「いやもっとちゃんと考えてから産んでよ」だし。
いずれにせよ、子どもは親の自己愛の象徴であり、親の人生のパーツでもある気がしてしまう。親のエゴだと思う。
こういう捻くれた考え方をせずに、
素直に出産しようと思える人が羨ましい。本当は私もそっち側にいたかった。
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だから、出産した親と、それによって生まれてきた子どもを目にするとなんだかモヤモヤした気持ちになるし、
「絶対に子どもなんか産んでやるもんか」って気持ちになるんだ。
とかなんとか言いながら、何年後かには私も出産してたりするんだろうな。散々けなしたくせに。
そうなれていたら、今よりは幸せを感じられているってことなんだろうなぁ…。
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