母と私の気持ちの境界線
今日私は、母の機嫌を損ねてしまった。
母の意見を否定したから。
ことの発端は、何気なくニュースを見ていたときの会話。
インバウンドの影響で観光公害が出ていて、、という話題だった。
こういう、「他人から迷惑を被った」系の話題は母の好物である。
よしきた!とばかりに、母はそのネタをダシに不平不満を述べ始めた。
「生活圏にまで観光客の人が来てて迷惑。」
「さっさと観光税とか課したらいいのに。」
(我が家は観光地から外れた場所にあるので、見かけるとしても、せいぜいはぐれ観光客くらいである。また、母は買い物以外外出しないので、観光地に赴いて被害を被ることも滅多にないはず。)
自分が大きな被害を受けたわけでもないのに、ニュースの話題を後ろ盾にして、偉そうにグチグチ言う姿が鬱陶しかった。
「うちの生活圏には観光客こないよね?」
ついつい母の意見に反発するようなことを言ってしまった。
母がピクッと反応するのがわかった。
怪訝そうな表情を浮かべて、
「あなたは昼間は仕事行ってていないからわかんないか!」
「そんな全てを否定されたら…」
と吐き捨てて去って行った。
やっちゃったなぁと思った。
最近、私は何かと母の意見を否定することが多いのである。
「近所の子どものマナーがなってない!!」という母の不満に対して、
「いやいや、私らも子どもの頃そんな感じだったんじゃん?」と返したり、
「旦那の家族に対する思いやりが足りん!!」との母の不満に対して、
「いやいや、こっちの要望うまく伝わってないんじゃん?」と返したり。
母が敵とみなす人を、
私は擁護する形で返答する。
きっと母は、それが不快で仕方ないんだろう。
自分の意見が正しいと認められないことが。
間違っていると突きつけられることが。
第一、世の中の事柄にそこまではっきりとした答えなんかない。
だから一つの事柄について、色んな意見が存在して然るべきなのに。
私は〇〇と思う。でもあなたは△△と思う。
それでいいはずなのに。
母は、自分と違う主張をされることを、
自分への反逆、みたいに感じているのかな。。
昔は母に同調していた
昔の私は、完全に母に同調していた。
母が世の中への不平不満を口にすると、
それと一緒になって、私も不平不満を口にしていた。
母が嫌いなものは、私も嫌いだった。
父や父方祖父母のことを、母はたびたび悪く言っていた。いかにあの人たちが酷いかを、私に度々言って聞かせていた。
だから、
私は父や父方祖父母のことを心から好きではなかった。
彼らが私に優しく接してきても、
「お母さんにあんな酷いことするくせに、私には優しい顔するわけ?」
って、不信感でいっぱいだった。
それが自分の気持ちだと、何の違和感もなく思っていた。
たぶん、物心ついてから、大学生くらいまでずっと。
でも、大学生のとき、一時期母から離れて、
父方祖母宅に居候していたことがあった。
で、そのとき気づいた。
「あれ、私そんなにおばあちゃんのこと嫌いじゃないかも…?」
気持ちの境界線
私がこれまで、「自分の気持ち」だと思って感じていたものは、
「母の気持ち」だった。
本来、私の気持ち/あなたの気持ち のように、自分と他者との間には境界線があるはずなのに、
私と母の間の境界線はガバガバだった。
母の気持ちを私のものとして感じてしまったり、
逆に、
私の気持ちを母に察して動いてもらおうとすることがあった。
私はいつも母基準で動いていた。
自分の意見があまりなかった。
外でも、人に合わせたり、人におまかせしちゃうことが多かった。
境界線がないと、「自分」というものの輪郭も、どこか曖昧になるのだと思う。
…ということに気づいたので、
最近は「母の意見」「私の意見」を意識するようにしている。
曖昧でぼやーっとしているなりに、私の意見も探せばどこかにあるはずなので。。
母にも無理に同調しないことにした。
(今は「私の意見」というよりも反発することが主題になってしまっていて、結局母基準で意見しているような気もするが)
そうやって、少しずつ、自分の輪郭をはっきりとさせていきたいと思う。
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