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「考えることが違うの面白い」と言われた話(2024.6/13の日記)

 早起きに慣れようと思って早くに目覚ましをかけ、二度寝を繰り返してまあまあの時間になった。冷房の節約!と思って朝から学校の図書室に行ったけど、それまでの準備の時間でもう汗が噴き出していた。暑い。真夏が心配。あと大学も冷房ついていない。

 今日すごく嬉しいことがあった。上手く書きたい。全部記録しておきたいけど難しい。

 初めての受業があって、初めて話す人を含めたグループワークがあった。グループのメンバーで、一つの事柄に考えたことを話し合う授業だった。授業が終わるころに、この初めて話す人が「みんな考えること違うの面白い」と言った。それから、「そもそも考え方が違うのが面白い」と言った。私もよく知っているワクワクいっぱいの笑顔で言った。これがすごく嬉しかった。

 自分もしばらく考えている、「みんな思考しているのって不思議」を言葉で伝えてくれたのが嬉しかった。すごく面白そうな顔で言ったのが嬉しくてびっくりした。一つの事柄について違う考えが複数出た。その中で意見を言う視点が違い、この人とこの人は似ているね、という話になった。それを面白いと言ったのだ。なんて素敵な感性!と思った。それを楽しめるのめちゃめちゃ素敵じゃないか。

 何か気の利いたことを言いたかったのに、そう気づけるのがすごいと思うよ、としか言えなかった。私は感動したのだ。ものすごく。それを伝えたかった。上手く言えなかった。悔しい。

 他のメンバーが「みんなにそのままあたしとして生活してもらいたい。めっちゃ面白いよ」とニヤッと言ったのも良かった。自分の見る世界を体感してほしい、あたしの思考で世界を見ると楽しいよ、ということだった。思わず「すごい!」と言ってしまった。その思考がすごい!面白い!最高に素敵な考え方だと思う。でもすごい!は間違えたかなと思う。この思考の回路があってすごい!を出力しました、というのは伝わっていないと思う。悔しい~。めちゃめちゃ考えて嬉しい気持ちになったのにそれを伝える方法を持っていないのが悔しい。彼女の思考になってみたい。

 この授業にすごく不安があったのだけど、グループのメンバーが面白い人ばかりで安心した。面白いというのは、ユーモアもそうだけど興味深いみたいな意味でもそうで、思考とか、面白いと感じるところが面白いなというか、そういう思考をするんだというへ~感、というか……。

 今日は最近で一番言葉にできないことを不自由に思った。言語化って苦手。こんなに文字で思考しているのに。言語化というか、伝える情報の取捨選択が苦手?言葉を発する行動が苦手?分からない。どうしてこんなに考えているのに全部を伝えることができないのですか?

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