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人生にムダなことは一つも無いはホント

私はとにかくやりたいと思ったことはすぐにやるタイプ。なぜならやりたいと思ったその時にやらないと、その気持ちってなくなっちゃうから。

5月。私は無人島に行ってみたかった。
だから無人島に行った。
この世のものは意外と食べることができること、意外となんでも創り出せることを知った。

8月。私は農業がしたかった。
だから北海道へ農業をしにいった。
食べ物一つ一つにどれだけの労働力が必要なのかを知った。そして「人間らしい」生活ができた。

2月。私は島暮らしがしたかった。
だから島で住み込みホテルバイトをした。
でも行ってみると島の良さを感じるヒマが無いほどの労働を強いられた。毎日泣いていた。本当に苦い思い出。

人生の転機

でもこの島暮らしは私にとって転機だった。前も言及したけど、この島で出会った外国人労働者のネパールの女の子。8月からこの地へ働きにきて、日本語も初めて学び始めた。私は彼女に感心していた。知らない国に1人で来て、たった半年で普通に会話が成り立つほどの日本語を習得していた。
しかしオーナー夫婦の彼女に対する風当たりは強かった。ホテル住み込み業は繁忙期、毎週末1日12時間働く。それ以外の日も8、9時間ほどしかも丸一日の休みって本当にない。私はこれに耐えられなかった。さらにオーナー夫婦はネパール人の彼女に蔑んだような態度で接する。これも本当に見るに耐えなかった。
そんな中で私はたった1週間の滞在であったものの、彼女と仲を深めた。私が1週間で去ることを知った彼女は泣いてしまった。彼女も辞めたがっていた。(それ以前にも沢山の外国人が1週間足らずで逃げるように辞めているらしい)最終日、私は彼女に手紙を渡した。彼女は再び涙した。そして、「この手紙のことは絶対に忘れない」と言ってくれた。それが私はとても嬉しかった。本当に外国人労働者の雇用環境を改善したいならと強く思った。
つまり、こんなに辛い思い出だったけど、もしここに行っていなかったらわたしはまだ自分のやりたいことを見つけられていなかったなと思う。
私は今、本来大学四年生の代なので、就活をする時期。以前からわたしは将来やりたいことが分からなくて困っていた。
やりたいことが見つからない時はとにかく行動しろ。そしたらきっと見つかる。ってよく聞く。このことをきっかけにそれを本質的に理解できた。

バイト先からの朝日

そして私の「やりたいこと」をさらに強くした出来事がこのフィリピン留学、詳細はこちら↓(前半のホテルの話一緒^ ^ゴメンネ)

自分の学部への迷い

それにね、私は自分の「英米学科」という学部についこの間まで後悔していた。私は英語を学びたくて入った学部だったけど、正直英語は独学でできる。留学に来てみて、看護師だった人、理系の人、多種多様の業界から英語を学びに来ている。その人はすでに英語が+αだから羨ましいなと思ってしまった。以前omeTVで「なんで日本人なのに英米を学んでいるんだ?」と聞かれてなんとも言えなかった。
でも、フィリピン留学を過ごす中でやっぱり私は”言語”が好きだと気づくことができた。人よりかなり言語に興味がある。だから今ちょっと実は英語は疎かなんだけど、タガログ語を勉強している。わたしはこの人たちが喋っている言語を聞き取れたら、どんなに楽しいだろう。私がこの国の人の言語を喋ったらどんな反応をするんだろうと考えるとワクワクが止まらない
私は根本的に言語や海外のカルチャーに興味がある。言語が違うから生じる固有の文化や価値観の違いを感じるのがとても楽しい。だから今では私の学部に自信を持つことができている

フィリピンバスの乗車率^ ^

日本語教員免許を取りたい

そして、包括的にみて私は日本語教員免許を取るべきだと判断した。
理由として、
①技能実習生と日本語学校の関係の密接さ
②”海外で働く”ことを実現できる可能性の高さ
③外国人と交流することができる仕事

考えただけでワクワクする未来。新卒ですぐに日本語教師になるつもりはあまりないけれど、私のやりたいことと日本語教師ってかなり繋がると思う。

あー、日本語教員課程を大一のうちから取っておけば良かった!と後悔しているけれど、いまやりたいことを見つけることができて良かった〜!
独学で日本語教員試験を受けることになるけど、これだけ明確に理由と目標があれば実現可能だと思う。この理由と目標を見失わないために今回はノートに全想いを書いてみた。
本当に人生において無駄な経験など何一つないと気づいた。全ての経験が今の「私」を作っている。

帰国したら日本語教員免許取得に向けて頑張ります!

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