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今日の一福

2024/03/23


 赤いのぼりが立っていた。
 日々の通勤路。休日のお散歩コース。見慣れたいつもの住宅街。
 その一隅に突如、仁王立ちで現れたそいつは憲兵然。胸をそらして居丈高。たった三言みことで大宣言した。

「売物件!」

 ええっ! と声が出たのは他にも続いた。

「ひっこし!? いつ!?」
「それが今月末で。すみません。突然で」
「いや、それはいいけど。ローンやっと済んだって言ってなかった???」
「それが旦那の実家の方に行くことになっちゃって。今より古い家になるのがなんだかなーではあるんですけど」

 駅チカで立地だけは◎なんですよと、同僚の彼女は笑ったような、泣きそうだったような。この会話だけではその真意のほどうかがい知れない。
 それだけに言葉もない。
 元気でねーなんつって、当たり障りない文言でも伝えられるだけマシなのか。

 帰り道。
 おそるおそる「売物件」のまえを過ぎる。
 こぢんまりとした庭が門塀のうしろにうずくまっている。老夫婦が住んでおられて、かわるがわる、時にはいっしょに手入れをなさっておられた。その横を何度も過ぎた。草花というより庭木を愛でるのがお好きなようで、とりわけ白梅のまわりの雑草や落ち葉を丹念にとっておられた。
 ご挨拶したことは一度もない。
 が、そんなことばかりが匂い立つように思い出された。
 例ののぼりが忌々しくて引っこ抜きたいくらいだったが、その向こう、うつむく白梅のしずけさにハタと打たれた。思い留まり、ただ去った。
 その横顔になにを想うか。
 問えるものなら問うてみたい。

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