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【D-20】ビューティフル・ライフ

つばさちゃんが先に、「しょうらいのゆめは、セーラームーン!」と言った。
だからわたしは「しょうらいのゆめは、おはなやさん」と言った。

保育園に通っていた頃のわたしは、セーラームーンとお歌とアンパンマンの顔のパンが好きだったけど、花を好きだと思ったことなど一度もなかった。

それからセーラームーンのぬいぐるみで遊ぶこと自体やめてしまった。つばさちゃんのほうが髪が長くて、元気で明るくて、わたしよりもセーラームーンが似合っていたから。セーラームーンはもうわたしのものじゃなくなった。


小学校の校門の前に6年生の男の子が何人かで溜まって、出てくる生徒たちを見ながら何か言ってる。小3からしたら小6なんて、そこにいるだけでライオンみたいでおっかない。目が合わないように、視界に入らないようにさっと通ろうとしたら「ブス」と声が聞こえた。驚きよりも”見つかってしまった”という感情が早かった。きっと少しでも反応したら獰猛な肉食獣に食べられてしまうと思ったので、なるべく素早くその場を去った。進むほど遠く感じる直線の道を、彼らの姿が見えなくなるくらいまで早歩きしたところで気づいた。

「あ、わたしってブスだったのか」

祖父も祖母も「将来絶対美人になるわ」と言ってくれていたから知らなかった。そっか。たしかに、言われてみればそうかもしれない。


中学生になって吹奏楽部に入った。小学校の通学路にあった中学校では、毎日のように吹奏楽部が楽器を持って練習していて、その姿があまりにもかっこよかったから。大好きだった2つ上の先輩が卒業したときは、本当に悲しかった。
1つ上の学年は、やけにわたしたちに当たりが強かった。これはのちのち、先輩後輩という関係性上「そういうもん」であると知ることになるんだけど、当時はどうしてこんなにつらくあたってくるのかと本気で神経を疑った。

「なんでこんなんもできひんねん」
「もう来んでいいで」
「え?何しに来たん?」

などと面と向かって言ってくる。言いたいことがあるなら直接言え、みたいな言葉があるけど、全然直接言わんでいい。裏で聞こえんように言え。
お昼休みにお弁当を食べながら喋ってるわたしたちの口調を真似してわざわざ聞こえるように嘲笑されたときは、ご飯の味がしなかった。アウトレイジのときの北野武ぐらい、「あいつらをどうやって殺すか」を毎日考えていた。残念ながら当時のわたしにはグロ描写の引き出しがなさすぎて、全然エグい殺し方ができなかった。それもちょっと悔しかった。


「ちょっとついてきてほしい」と友だちに言われて、放課後一緒にドラッグストアに行った。短いプリーツスカートから細くて白い脚がのぞく、赤メガネの顔が最高に可愛い友だちは、なぜかうちの高校の野球部で一番冴えないガサツな男と付き合っていた。でも、こんなに可愛いのにちょっと変な趣味なところも、わたしは好きだった。

「どれがいいかな?なんかツブツブのやつとかもあんねんな」

コンドームの箱を何個か持って、パッケージを読みながら普通のトーンで話しかけてくる。色んなことが一気に恥ずかしくなって無性に逃げたかった。人生のステージが完全に違う、と思った。同じ場所にいると思っていたけど、友だちは本当はもっとずっと先を走っていて、わたしは彼女の影としゃべっていたのかもしれない。


いつまで経っても「ナチュラルに生きている人」に勝てない。打算や人からの見た目を変に気にして、平気で自分を抑えたりバレない程度の嘘をついたりしてしまう。塵みたいな小さな虚栄でも、積み重なるほどに虚無感が膨らんでいって、生命の危機を感じる。
でも、自分よりもずっと苦しくてつらそうな人のことを思って、自分の悩みの大した事なさ、ちっぽけ具合に失望する。パンパンに膨らんだ虚無の塊は、派手に弾けたりせず、静かにしぼんでいく。年老いてシワシワになっていくみたいに、頼りなく音もなく。


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