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DUMB TYPE 高谷史郎氏×UPLINK 浅井隆氏オープニングトークatアップリンク京都を聞いて

DUMB TYPE 高谷史郎-自然とテクノロジーのはざま』公開初日(2020年6月11日)のオープニングトークは、「世界がdumb type化している」という浅井隆氏(アップリンク)による問題設定により、観客がdumb typeの世界観に溶け込む貴重な機会となった。

「世界がdumb type化している」

浅井氏はトークの冒頭、このように述べた。

近頃「dumb typeっぽいもの」をテレビで目にする毎日だ。不謹慎かもしれないが、世界がdumb type化している…現実がパフォーマンスのようだ。

実際、私も客席からトーク用にセッティングされた舞台を見て、「はて、今日はパフォーマンスありか?」と思ったものの、すぐに、そのいかにも「dumb typeっぽい」装置に見えたものは、新型コロナウィルスの飛沫感染防用のパーティションだと気づいた。

dumb typeっぽいものとは何か?

機会的なソーシャル・ディスタンスのバグにより翻弄される人間

私はほぼ一番乗りで劇場に入り、続々と人が機械的に一席飛ばしに客席につくのを見ていた。ウィルスの感染防止対策に、「機械的に」一席飛ばしにしか予約できない仕組みになっていた。ところが、人が座るはずのない私の隣に人が着席したのである。その方は自分のチケットと周りの様子を申し訳無さそうに何度も言ったり来たりしながら、諦めたように着席した。これは、後の浅井氏のトークで説明があったが、人為的にミスで席の予約システムが機能しなかったことによるそうだ。

この様子は、これから観賞する036-Pleasure Lifeで描かれる世界を想起させる。036-Pleasure Lifeではスクエアに区切られた空間の36枚のタイルの上での人間の行動が描かれている。人間は様々な機械信号に反応し、動かされ、時に翻弄される

さて、現実世界のアップリンク京都の劇場では、私の少し前の席でもさらなるバグが起きていた。友人あるいは家族と思われる二人組の間に、また誰かが座ることになった。その人はソーシャル・ディスタンスの中でも繋がる二人の間を割って入るわけなので、前述の私の隣の方より更に申し訳なさそうに、両側に何度かお辞儀をしながら席についた。

現実世界のパフォーマンス化

浅井氏は現実世界のパフォーマンス化にも言及する。

人が(社会的)マスクを身につける。消毒液を手に振りかける。手もみをしながら劇場へとエレベータを降りる。一つ飛ばしに席に付く…

コンテンポラリーアートが、人間の営みや感情に特殊な角度から切り込み、概念化/抽象化して演じることであると仮定すれば、そのエクストリームな切り口を現実世界で見るという考え方もまたアートだ。

実は演じられていた幻の『2020』

高谷氏はdumb typeの新作『2020』では「今」を描いているという。この「今」とは、すでに過去となった公演開催日の2020年3月28日のことだ。実はこの公演、パフォーマンスが無観客状態で行われていたそうである。そして、記録もされたと。

ある人は、3月28日に公演をするのなら、実際に作品の構想ができたのはそれよりずっと前で、あとは演者がその完成形を目指して練習を繰り返していたのではないかと思うかもしれない。しかし、作品はパフォーマンスと同時進行的に創り上げられるものだ。そして、その日の天気(自然)、観客(人)、殊にコンテンポラリーアートの場合は社会状況などもその作品の完成に影響を与え、演じるまで作品の完成形は存在しない。

今を描く『2020』、未来としての2020年、記号としての2020年

さらに高谷氏は「『2001年』は過去だけれど未来を意味しないか?『2001年』に未来的なイメージはないか?『2020年』が未来でなくなったのはいつか?未来でないとしたら、そのグラデーションはどこから始まるのか?」と問う。

今を生きる私が存在する「2020年」、未来の「2020年」、これから振り替える「2020年」、そして記号としての「2001年」を経た「2020年」

dumb typeの新作『2020』は実施され、記録されていた。
高谷氏は再演について具体的に言及しなかったが、たとえ別の機会に再演されるとしても、それはまた別の『2020』となるはずである。作品とは、このように時代の中でのタイミングの奇跡的な重なり合いで生まれるものだ。

烏丸三条という交差点に吹く新たな風

さいごに、私はアップリンク京都のオープンをある種の大事件と捉えている。京都のミニシアターで「みなみ会館」や「出町座」は、その作品を見るためにコアな映画好きが集うという印象があったが、烏丸三条の新風館というコンプレックスの一部にミニシアターができることにより、新たな人の流れができ、新たな風が街に流れる。烏丸三条はこれからアートや文化の交差点としての新たな側面を見せていくだろう。(私もそこを歩く登場人物の一人になれるかな(笑))

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