幼児的万能感について

こんにちは。

幼児性万能感についての簡単な考察。

記事1【能力が能力が低い人ほど自信満々である不思議現象】要点抜粋
人事評価に頭を悩ませる経営者の話を聞いて、整理したこと。

査定にかかわらず、普段の言動で、不評が付きまとう人物というのはどういうわけか、同じ人物がよく登場する。悪目立ちしてしまい、それだけ周囲も同じように感じている様子。

人間は、そもそも自分の能力を過信する生き物で、誰しも自分を過大評価する傾向にあり、能力が低い人はその傾向がより強いらしいこと。また、能力のある人は自分より能力のある人と自分を比べやすく、努力する一方、無能な人は自分より下の能力の人と比べ、安心してしまう。

理解力が乏しい人は、自分が理解できていないことも、理解できない。つまり、「自身に対する認知能力も乏しい」ことから、自分に対して過大評価になってしまう。

能力のある人は、あらゆる可能性や状況を予測したり、想像力を働かせることができるので、不安要素も察知でき、良くも悪くも悲観的になりやすく、自身を過小評価しやすいのに対し、逆に過度に能天気な人は自分を過大評価するため、実績とは反比例し、やたら自信家であるということのよう。

加えて、能力に関係するのかわかりませんが、妙な自己アピールが強かったり、幼稚性が目立つケースも多いように感じる。

認知能力。メタ認知。客観視、気づき。自分を冷静に客観視するのは難しいが、「認知能力の違いについて」心にとめておきたいところ。

記事2【視野を広げる必要性】要点抜粋
長らく疑問に思っていた、理解力がある人と、ない人の違いについて。

日々、物事の対応において、なぜか的外れな方向に行ってしまう人がいる。

判断能力というのは、総じてその人の基準によるものなので、そもそも知識や経験が足りないのは、時間をかけて足していけばいいと思うが、判断能力そのものは、視野を広げて気づきがない限り、進歩がない…怖さがあるように思う。また理解力が乏しいと、本質をつかめないので、ずれてしまう。
判断能力が乏しいということは、客観的に判断できないため、空気を読むことも疎い傾向にあり、状況判断あらゆることで判断がつかないということに繋がる。

「理解力」というのは、自分の頭で考えて、解釈をする必要があるので、事柄に関して、判断、分析するという概念が薄いと、安易な情報を鵜呑みにして、知っている、わかっているという意識になってしまいがちで、難しいところなのだが、理解力、判断能力にあまりにも差がある場合、両者の会話が本質的な部分で齟齬が生じ、早い段階で成り立たなくなり、信用を保てなくなってしまう。

職場等でも、視野が狭いと、他者との相違、その場の状況を客観的に判断することができないため、一つの方法が成功するとその方法ばかりに固執し、自分は正しいと思い込むため、それを他人に押し付ける人がいる。「全体の効率化」という概念がなく、古い過去に成功した方法を後生大事に繰り返し、アップデートができなかったりすると、益々柔軟な思考を持つ人とは差が生まれてしまう。

学生でも、自分の頭で考えて行動できる子は伸びると感じる。たとえ、その方法が間違っていたとしても経験を通して学び、修正でき、その器があるように感じる。大人の場合は、一を聞いて十を知るタイプでどんどん展開してゆく人と、一を言ってもマイナスで返ってくるような人とは今後の関係性に影響してしまうので…自身も視野を広げ、発想力や分析力をいつまでも柔軟に持ち続けたいと願う。

━━━ 

以下、「能力」「自信」とは異なる「幼児的万能感」について。

幼児的万能感とは、主に思春期以前の子供の頃に抱いていた「自分には何でもできる」と言う万能感を意味し、そのベースは、親からの愛情、期待、親の保護、支えを自分の実力と認知していること等によるといわれています。

通常であれば、子供は思春期を脱する時には妥当な万能感を身に付け、現実との折り合いをつけ成長するのに対し、
現実とうまく折り合うことができないまま思春期を過ごしてしまったり、親からの過剰な期待を受け続けたり褒め続けられた結果、幼児的万能感を克服する機会を失い、大人になってもこの幼児的万能感を引きずってしまうことがあるそうです。

この幼児的万能感を引きずる大人は、無条件に自分は優れている、素晴らしいと思い込む特徴があり、これが端から見れば自信満々という態度に映るようです。
しかし当事者の心中は、自分が万能であるという理想と、現実はいたって普通であるギャップにむしろ強い不安を感じているため、あえて自分は万能だと主張するそうです。

根拠のない自信に満ち溢れている、というのも特性の一つで、こちらも現実との乖離のギャップに対して、引きこもりや自分の理想を理解し共感できる人とのみの馴れ合いの世界に浸り、自分の平凡さと向き合うことなく、居心地の良い停滞を好むことで、幼児的万能感をより強固にもするといわれています。

精神的に未熟、現実逃避、現実に向き合ってこなかったために、挫折や失敗に弱く、克服経験も少ないため、そのまま自分は万能であるという理想像にとらわれ続けている状態のようです。

また、現実的に社会に出て、未熟さを指摘されると、それを脅威と認識し、極端に傷つくそうで、スポーツ等、忍耐や努力を必要とし、数値や結果が明らかなものには、自分の万能感が否定されていると捉え、苦痛を覚え、万能感を感じているからこその「私はこんな努力をしなくてもできる、結果を出せる」と結論づける。実際は諦め、行動しない癖がつき、責任転嫁をすることで現実から逃げようとする癖がついてしまっているとのことです。
よって、他人や環境への責任転嫁や幼稚な言い訳が目立ち、全く反省や改善がなく、ミスを繰り返したり、学びや成長がないため、周囲からは疑問視され続けるという流れになります。

プライドだけは高く、未熟さが目立つ大人の万能感について、でした。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。

よい一日を。