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コールアンドレスポンス

好き、に好きと返せなかった。


理由ならいくらでもある。東京まで毎月新幹線で会いに行くのはしんどいということ。恋愛経験が同性相手ではまだまだ少なかったということ、若かったし、お金もなかった。恋愛の進め方も知らず、多様性もあまり肌にはしみていなくて、しかも私の生活にはついこの間SNSが入ってきたばかりだった。情報を扱い慣れていない私には、他人の経験から学ぶこともできなかった。けれど、1番は、女の子が真剣に恋をしたときのひたむきな情熱に向き合う勇気がなかったことだと思う。

私は若くて、馬鹿だった。この間、18から22までの恋愛で女は変わるのだとツイートが流れてきたけど、そうだと思う。そのどの時期よりも早く、擦れた恋愛を知らなかったし、どうしたらいいのかわからなくて、怖かった。

彼女が一心に私に向ける、好き、という言葉の重さ。届いた手紙の美しい文字、ピンクの便箋、溢れ出すほど繊細なレース細工の封筒。いくらしたのだろう。私はこんなことにさえ戦慄していた。浪人して、自分の時の流れが周りに比べてあまりに遅すぎることに苦しんでいた私には便箋を買うお金もなかった。嫉妬していたのかもしれない。恋ごときにそこまでの熱量を掛けられることを恐ろしく思った。私が買えるのはせいぜいが百円の白黒便箋で、それを私がクールなのだと好意的に解釈する彼女の愛は苦しかった。真綿で首を絞められているような気がした。甘く、確実にそこにあるのは愛なのに、私は同じものを返せる自信がなかった。ラインで送られてくる写真、それから毎日続く長電話。燃えるような情熱がそこには轟々と燃えていた。感情に形があるなら、彼女の思いは確実に赤く、大きく揺れながら私を呼んでいて、けれど私の感情は少しずつやせ細るようだった。

いまは、少しだけわかる。ここで私は腹を決めるべきだったんだ。私の友人と彼女で何が違うのかと泣いた彼女を抱きしめるべきだったし、そのまま同性同士で入れるラブホを調べてATMで金をおろしてキスをするべきだった。人の多すぎる東京の、今はもう名前も覚えていない改札の前で、私はそれをすべきだった。私ともっと一緒にいて、と泣き始めた彼女に言葉を尽くすべきだった。限界まで彼女に燃やされて、一緒に灰にならないと見えないものもある。そして、そんなもので人は死なない。燃えればよかったんだ。でもそんなことを知ってしまった今の私は、彼女にはふさわしくないだろうと思う。きっと彼女も変わっただろう。それでも最近ときどき冷たい春の雨の中で、あの時はごめん、と連絡したくなる。彼女のツイッターを覗けば、彼氏がいることがわかって、だから今は踏みとどまっている。今、少しくらいお金があるから、彼女の行動圏内のカフェで煙草でも吸いながらお茶を飲んで読書をして、待っているからよかったら来てくれない、と連絡してしまいたい。耐えている。振ってくれたらいいけれど、なんとなく彼女は来る気がするのだ。そして今の私が彼女にあったら、多分一緒に燃えてしまうだろうという自信があるからだ。今度は私が彼女を燃やすだろう。でもその灰からは、多分もう何も生まれてこない。あの愛することが怖かった日の夕方に、そこを二人で踏み越えることにこそ意味があったと思う。

死んじゃった恋は生き返ったりしない。

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