一億2千百万人
2021年3月18日朝6時
老いぼれジイさんは3時の政策金利発表と、FOMC30分後のパウエルFRB議長記者会見の様子を見た後でシャワーをして、いつもより早い朝食を取っている。
長女とエマが生活に加わって丁度1週間目の朝食が訪れたことになる。
土日曜日以外は決まった時間が無い生活を送っているので、エマたちが加わってもサラリーマンでは無いため、お互い時間的には何ら違和感が無い。
この日はエマの初めての検診を予定している為、エマに授乳を与えた長女と妻と3人で、パンとコーヒーで朝食だ。
昨日田舎に用事があり妻が定例の外出をしたついでに、田舎で評判のパン屋さんで買って来たパンを食べている。
「いなかの甘いパンもおいしいけど、ヤッパリあそこのパンよね」
「あそこのパンは小麦粉の甘さが美味しいね」
「この街には美味しいパン屋さんが無いね」
「そう言えば、・・・」
老いぼれ夫婦のいつもの会話だな、と思っている頭の中で、田舎で評判のパン屋さんと同じ町の病院で長女が生まれた事を思い出した。
長女と夫であるジョージはサラリーマンであり、そして若いが故に生活に色々な彩が湧き出して来るので何かと忙しい。
恐らく15歳になったエマは、長女と夫であるジョージと同じ時間で15年間が過ぎていくだろうが、もっと若いエマにはこれまでに無い色んな絵や出来事を目にして感じ取って、一人の人間となっていく。
田舎の病院で生まれた長女と次女に伝えて来なかった過去と、未来へ続く15歳のエマへ老いぼれジイさんは勇気を持って語っている。
過去のデータの上に現在があり、未来を創造するために時間を結び付け、物事を織りなす考え方が身に付くように、幼い頃から感性を磨く練習をして欲しいと思っています。
当日のニュースからCovid-19のデータを紹介する。
「フランスのカステックス首相は18日、新型コロナウイルス感染第3波を受け、パリとその近郊を含む16県で1カ月間のロックダウン(都市封鎖)措置を導入すると発表した。
マクロン大統領はこれまで、封鎖回避に向けてあらゆる措置を講じる構えを示していたが、英国で広がった感染力の強い変異株の感染が広がる中、ロックダウンの再導入を余儀なくされた。
カステックス首相は「感染状況は深刻さを増している」と警鐘を鳴らした。現時点で英変異株が感染例全体の75%を占めるという。
フランスで18日に報告された新規感染者は3万5000人。パリの病院にある集中治療室(ICU)に入院している新型コロナ患者数は第2波のピーク時を超えた。」
フランスのニュースに加え、世界の感染者数累計は一億2千百万人に及び、米国は2千9百万人を超え、日本では45万人弱、中国では9万人のデータが現実に残されたことになる。
1年前に生きなくては成らなかった人々がコロナ感染症によって亡くなっている。
それは、政治と民意を考える一年だった。
特に多くの場面で規範と規律を問われる一年になった。
また、経済を代表すれば、1年前のこの日のNYダウに話を移すと、
2月には29,000ドル台で史上初めて3万ドル台に乗せるのは必至と思われていたNYダウが、
3月18日には2万ドルから18,000ドルまで急降下を繰り返した。
そして、日本では10年前にも生きなくては成らなかった人々大勢なくなった。
3.11(さんてんいちいち:2011年3月11日東日本大震災)から10年経ってエマは生まれてきた事も15年後に必ず知ってほしいと思い、老いぼれジィジiは勇気を持って語っている。。
実際にデータで検証し事実を捉えて未来を創造するために、物事を織りなして考える力を付けてほしいと老いぼれジイさんは生まれた時から考えている。
ここから先は、老いぼれる前のジィジiの回顧。
3.11の出来事は今も忘れることは出来ない。
それは地震とは距離が離れた町で,事務所を構えていたジィジiと,
たまた寄った若い業者さんの二人で為替の話をしていた時だった。
インターネット上で大きな地震があったらしい、というニュースから物語は始まる。
「大きな地震だったら儲かりますか?」と為替の話をしていた若い業者さんが言った。
「経済に影響があるくらいの地震で、セオリー通りなら円安じぁない?」
「場所が東北なんで、為替には影響ないのでは?」ともっともらしく私が返しながらドル円チャートを開いた。
ドル円は少し上がった程度だった。
すると、業者さんは、
「ユーロドルとドル円を一口ずつ買っているので儲かるかも?」と言った。
「うーんむ・・・難しい質問をするなあ・・・ヘッジしてあるからOKという事かなあ」
「???・・・ユーロ円が上がると思って2口買っているのですが・・・」
今度は私の方が???である。
実は、若い業者さんは為替初心者だったようだ。
ユーロドル×ドル円=ユーロ円である事と,
ユーロ円を買うという事を勘違いしていたのだ。
ユーロ ドル
✖
ドル 円 の斜め算を教えて上げた。
その他にも説明したつもりだが、具体的にそれ以外は良く憶えていない。
「それはそうと、仙台の奥さん家に電話を掛けて見たら?」
業者さんの奥さんの実家が仙台市にあることを知っていた私は、若い業者さんに気を使い、
こう言った。
当時はまだ災害の映像がタイムリーにネットで見ることが出来きなかった。
阪神大震災以降進んではいたが、災害情報についてもリアルにはほど遠かった。
まして、電話回線も脆弱だった。
という訳で、若い業者さんは直ぐに連絡を取るべく妻の元に帰って行った。
同時に、私は市役所の職員に仕事で会いに行くため事務所を後にした。
全く余談であるが、田舎で評判のパン屋さんは市役所の途中にあり、病院はもう少し遠くにある。
そして、付いているはずの無い市役所内のテレビでその現実を眼にする。
津波が街や建物を吞み込んでいく映像である。
その瞬間は唯『驚き』以外に言葉を発する事も出来なかった。
まだ若かった頃のジイさんの回顧はここまでだが、
どうしても伝えたい出来事があるので続けることにする。
3.11翌日の土曜日の出来事だ。
仕事を休日にしていたジィジiはいつもの様に事務所で仕事をしていた。
控えドアを開けた所にある椅子に腰かけて一服していた時、散歩をしていた隣のお爺さんがいつものように隣に腰を掛け、いつもとは違う地震の話をしていた時だった。
事務所の駐車場の前にある小道を一人の男性が歩いて来た。
腰掛に並んで座っていた私も、隣のお爺さんも言葉にはしなかったが、その時には「こっちには来るな」と思っている男性だった。
私は今も昔も、ハトでもなければタカでも無いし、この男性にも興味は無い。
小道を歩く男性はいつものようにという雰囲気のまま駐車場を横切り、
「よろしくお願いします。案内を持ってご近所を歩かせて貰っています。」
と、言ってチラシを配って行った。
私と隣のお爺さんは、その時には言いたく無かったが口を揃えてこう言った。
「ご苦労様です」
後に、この男性は県議会議長を務めた。
【追記】
3.11の後、外国為替市場の円相場は16日のニューヨーク市場で急騰し、1995年4月19日に付けた1ドル=79円75銭の戦後最高値を約16年ぶりに更新した。その後も円高の流れは止まらず、17日のシドニー市場では一時76円25銭と最高値をさらに塗り替えた。東京市場に入ると、政府・日銀による介入警戒感が強まり、79円台後半まで下落した。
円高進行の背景には、震災で多額の保険金支払いの必要が生じる保険会社などが手元資金を確保するため、海外の金融資産を円に換えるのではないかとの思惑があると指摘された。95年に付けた最高値が、阪神・淡路大震災の約3カ月後だったことも市場の円買い連想につながったとみられる。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?