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「推し」とは何かを必死に考える外国人のブログ

オーストラリア人の僕が日本語でツイッターを使うようになって、おそらく3年ぐらいになります。言語勉強ツールと違って自由な日本語に触れることで少し日本語が上達したのではないでしょうか。少なくとも自分の過去のツイートを見るのが恥ずかしい、という程度には上達したと思っています。

まあ、「ドルヲタだからそれはそう」なんて言われたらおしまいですが。

そう、僕のツイッターの生息地はドルヲタ界隈。アイドルを好きになってしまって、その気持ちを共有できる場としてツイッターを始めた……のかもしれません。しかしその環境で話を追おうと思っては、以前も連ツイしたように、いろんな慣れない用語を理解するのに苦戦しました。

(上記の「過去のツイートを見て恥ずかしい」というのはこの誤字の嵐も含まれます。)

時間はかかったものの、その用語の多くは慣れてきて自分でも使うようになりました。でもその連ツイでも触れた通り、「推し」という単語がずっと難問で、長い間自分で使うのをためらったりして、今でもその意味や使い方を真剣に考えることが多いです。

去年書いたこのnote、内藤るなを好きになった経緯を話すもので、実は勝手ながらかなり気に入っているのですが、一つだけ自分的に微妙なところは最後の「ずっと内藤るなへの気持ちも大切にしていきたいと強く思う」という締めの言葉。間違ってはいないですし、悪いというわけでもないけれど、自分の中ではずっとこれが「弱い」と感じる部分がありまして。

もしかして僕が言いたかったのは、「推します」だったのではないかと思ったりします。

さて、前置きや余談で長かったけど、そろそろ「推しとは何か」を実際に考えよう……と思いなすが、まずは「なぜ理解するのが難しいか」というアングルから見てみたいと思います。

この言葉の理解への大きな壁の一つは「使われる違う意味合いが非常に多い」ということだと考えます。ドルヲタならほぼ誰もが使う言葉にもかかわらず、時と場合によっては軽く「このグループでの推しメン」を指してなんの強い想いも含まれないケースもあれば、長年人生の中心にしてきた相手を指すこともあります。「推し」と呼ぶ相手が何十人もいる人もいれば「推しは一人」と主張する人もいます。

もう一つ感じた壁は「経験」の違い。これは僕の勝手な捉え方ですが、ドルヲタって大体推しに対して、何か特別な想いを抱えていているのだが、その想いというか気持ちや感情というか、それを経験したことがない人にはどんな言葉を選んでも伝わりづらいのではないでしょうか。そしてこれはドルヲタがドルヲタでない人に対するだけの話でもなく、違うタイプのヲタクによって経験する感情なども違ってくるので例え同じ「推し」という言葉を使おうともそれに込められた想いがまったく違うという可能性もあります。

そんなこんな言っても、意味を大体、大まか、なんとなく分かるだろう、と言われたらまあそうです。言ってくる人、場面、そのまわりの状況からある程度どのようにして使われているのか、そりゃ大抵の理解できます。だったらなぜこの真面目すぎる分析をしているのかと言われると……

理解だけじゃなくて、僕も使いたいからです。

そのように使い所や使い方が人それぞれのこの「推し」という言葉、僕が感じたところ、一番意味合いに影響するのは「使う人」です。場面ごとに使い分けするケースもなくはないですが、主に使う「人」が決めるーーいや、「決める」というのも間違いかもしれません。その人が経験で決まる、という方が良いかもしれません。

それは言語の使い方、学び方としてはごく普通で自然ですが、僕は学習者であり、結局「外側」の人間というポジションにいるため、たまに自然に言葉を学ぶことより使い方を自分で決めないといけない場合もあります。これがそういう場合だとして、どんな使い方にするべきでしょうか。

ドルヲタにはいろんなタイプがいます。中でもDDというジャンル(?)がありまして、僕はその部類に入るのではないか、とこの用語を知ったときから考えてきました。アイドル文化に詳しくない方のために説明すると、DDとは「Daredemo Daisuki」の略で、その聞こえのように基本的にたくさんのアイドルに好きとか言ってしまうことのできる、ある意味最低の連中の名称です。

DDの他に「単推し」や「箱推し」のような部類があり、アイドルを一人や小人数で推している人を指すけれど、実はよく聞く「〇〇しか好きじゃない」というフレーズを使っている場合が多いのはDDという疑いもあります。

……それはさておき。そういう言い方をしたけれど、DDというのは別に絶対に悪だとは思っていません。いろんなアイドルを見てみるの人がいなかったら逆にアイドルという概念が成立しない気までもします。色々感じることもあるけど、ここではすでに本題からずいぶん遠ざかってしまったのでこれぐらいにします。

ここまでDDについて話したのは、DDの間でよく見る「推し」の意味合いに触れるため。DDにも程度の違いとかもあるし、個人差もかなりありますが、いろんなグループに別々の推しがいるような言い方が多いように感じます。同じグループにも「2推し」がいることも。つまりこの「推し」は「この環境での一番好きなメンバー」といった意味です。

僕はこの意味で使っても良いのかもしれませんが、そうすることにどこかためらいを覚えます。

僕のアイドル歴は「ももクロが好き」から「内藤るなも好き」から「スタプラ全般がなんか好き」などの通過点を通して、内藤るなという例外を除いて、基本的に「このグループ全般が好き」というような、基本箱推しのような感覚でアイドルを見たり応援したりしてきました。

でも、日本に行って、本物のアイドルに見るだけでなく「会って」、そこからコロナ禍の影響で個人配信などでアイドルの人柄に触れて、オンラインの特典会などにも参加して、僕のアイドルへの感じ方が変わりました。自分が思うには、違うタイプのオタクになりました。

その関係で感謝したり、強いご縁を感じたり、単純に人間として好きになったりしたアイドルの子が数人に増えました。余談ではありますが、こんな風に「推し増し」が起こると「DDが加速した」という言い方も聞きますが、僕自身が感じたところでは実はDDからはいくらか遠ざかったように思えます。なぜなら知っているアイドル全般を好きと思うより、この数人を大切にしたいと思うからです。

そう、つまりはその特別に、大切にしたいと思った子にこそ、僕は「推し」という言葉を使いたいです。

「ここまで分析とかの話をしておいて最後は感情論かよ」と思うかもしれませんが、まあその通りです。結局これは個人的な話で、個人の感情で決めるしかない気もしますが。

上記の連ツイを出した当時、返信で推しとは「重みのある言葉」と自分の感じたことを教えてくださった方がいました。この話題で考えるとき、そのフレーズを思い出すことが多くて、どことなく共感があるのか、僕も重みのある使い方がしたいなと思いました。

「推し」という言葉を一つの使い方に絞っても残った課題が多い。「この子が推し」という線引きはどこでするのでしょうか?人はどうして誰かを推そうと思うのでしょうか?こんな、おそらく正解のない問題が山ほど脳裏をよぎりますが、とりあえず、一つの決断として、今からは自分なりに「推し」という言葉を自分から使っていきたいと思います。

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