AIは人間の敵ではないけど人間もアップデートしたいよねって話
『堀江貴文のChatGPT大全』読了
自己啓発本かあ〜って鼻で笑うやつほど本を読まねえやつはいない。
『堀江貴文のChatGPT大全』のひと月くらい前に、同氏の『多動力』も読んだ。図書館で偶然見つけて、気になって。
ジャンルとしてはビジネスなんだと思うんだけど、十分過ぎるほど自己を啓発してくれる本だった。生活背景が私とホリエモンとでは全然違うから、彼と同じ行動はできないし、「それはどうだろう」と苦笑しちゃうところも結構あるが、とにかく新しい世界を見せてくれるという点で、私は彼の本を大いに楽しめる。
そもそも、なぜ自己啓発本はそんなにも蔑まれるのか?
その軽蔑の根拠は何か。
それを説明できないなら本を読むべきだと思う。
ちなみに最近話題の本『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』にその答えが見られるが、これも結局、読まねえとわからない。
私は昔から、ホリエモンの本を読んでいる。
◯◯しない奴はバカとかアホとか書いてある。ホリエモン構文という言葉があるならこれのことだろう。
これがないとホリエモンじゃないよね!って思うくらい、いちいち「ザ・ホリエモンの本」である。
おもしろくて一気読みできる。
極端な表現はさておき、自分が見えてなかったあらゆる新しい視点を提示してくれるので、たまにホリエモンの本を開いて「これに気づかない奴はバカ」と喝破してもらう。
バカなので、素直にそっちの世界にも目を向けておこうと思うのだ。
ChatGPT大全もAudibleで読了。
うん、ホリエモン節だった。
しかしこの本、いろんな業種のいろんな背景の人たちに、「自分とChatGPT」として話をしてもらっている形なので、ホリエモンの本のようでそうでないパターンである。
ホリエモンももちろん、自身にとってのChat GPTを語っていて、曰く「全能の神」とのこと。んーまあそうか。Chat GPTに育児させようとか、炎上しそうなアイデアを多々並べている。些末なこと、面倒なこと、薄っぺらい内容でも問題ないことはAIにまかせておけばいいという意見は、その全部に対して賛成はできないまでも、そっちの使い方で新しい道は開けそうだよねって思う。たとえば、くだらねーおしゃべりにつきあうのをAIにまかせとくことは全然アリだろう。時間もったいないなと思うことは往々にしてあるものだ。しかし人間はその後のリアルライフがある。あとでAIの尻拭いをせにゃならんことになるのはもっと面倒だと思うんだけど、これは凡人の愚問なのかなあ。
要は、「AIができることは素直にまかせて、人間はそれを利用し、監督し、もっと重要な仕事をするべきだ」ってことなんだよね。それには人間もAIを監督しうるだけのアップグレードが必要なんだろうけど。
ChatGPTの活用例がたくさん提示されていくうちに、私も自分の仕事の上で活用したいと強く思うことがでてきた。
報告書や資料の作成だ。
詳細は省くが、仕事上、日々大量の報告書や、ケースごとに全く異なる内容の資料を作る必要がある。これがめちゃくちゃ時間を食う。なんで時間を食うのか、この業務に携わった瞬間からずっと考えていて、でも、わりと初期に気づいてた。
「テンプレがないのに様式を強制されている」からだ。
驚くことに、みんな、先輩達の作った資料を書き写しているのだ。いや、せめてデータもらってコピペしなよって思った。コピペはできる。しかし直属の上司が「このデータを作った先輩に著作権があるから」みたいなことを言い始めて、こりゃだめだと思った。そりゃ仕事終わらん。
私は許可されて与えられた先輩のデータをテンプレ化して、仕事に活用するようにした。仕事早いねと言われるが、そらそうや。5合目から登山してるんやもん。
中には、同じように先輩データのテンプレ化に成功している職員もいるが、これが不思議なことに、回数と年数を重ねていくと、なぜかその人のオリジナル作品に昇華してしまいがちなのだ。
さらに、資料の様式のいろんな箇所が都度アップデートされるから、それに追いつけなかったテンプレを持っていると修正を余儀なくされて、そこにまた時間がかかる。
うう、無駄だ。もういっそ管理部署が統一テンプレを随時配ってくれ。
そこでAIじゃないか、と私は考える。
職員が、自分が集めたデータを、資料様式を把握している(しかも随時アップデートされている)AIに流し込む。それで吐き出された資料のチェックと微調整を職員自身が行なって、資料完成。
これよくない?
(そしたら今度は微調整に差が出るかもしれんな)
AIは人間の敵ではない。
人間はAIを利用することによって、もっと大事なことに目を向けるべきだ。
そのためには、自分をアップデートしないといけない。
だからこそ、いつまでも同じ場所にしがみついているべきではない。
動き続けるしかない。