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太宰府逍遥

かつて律令国家の西の拠点としてこの地に置かれた巨大な官衙かんが、大宰府。奈良や京都の縮小版、といったところです。
ここは白村江の戦い以後、「大宰府政庁」が造営され重要な政治の中核を果たしていました。

大宰府政庁跡
大野山の霧を見ると山上憶良の歌を思い出す
今は礎石が残るのみ

春はお花見で賑わいます。
ちょうど今は梅の時期。万葉集では桜より圧倒的に梅を詠んだ歌が多いですよね。
雨粒を纏わせながら、芳芬な香りを放っています。

梅一輪一輪ほどの暖かさ 服部嵐雪
坂本八幡宮もすぐ近く
本格的な見頃は今から
マンサクだ〜!と近寄ったら、シナマンサクと書いてある。マンサクは固有種、シナマンサクは中国原産で若干違うようです。


大宰府政庁から東に少し進むと戒壇院があります。戒壇院は大和の東大寺、下野の薬師寺、筑紫の観世音寺の3ヶ所に置かれました。
僧侶に戒律を授ける場所ですね。

戒壇には天竺(インド)、唐(中国)、大和(奈良)の土が納められているそう。
東大寺の石畳みたい。

戒壇院

裏には玄昉の墓があるということなので、初めて行ってみました。
田んぼと民家の傍にひっそりとありました。殆どの方、気づかないでしょう。


観世音寺 講堂

こちらは観世音寺の講堂。
観世音寺は7世紀後半、天智天皇の発願で母・斉明天皇の供養のために創建された天平の古刹です。
しかし火災や台風で創建時の建物は無く、現在の金堂と講堂は江戸時代に黒田藩主が再建したもの。
空海も唐から帰国後、一時滞在していました。

入館料 個人 500円

お隣、宝蔵には講堂と金堂に安置されていた奈良時代〜鎌倉時代の仏像が展示されています。

幾多の災難にあい、創建時の像はほとんど失われているそうですが、かつての栄華を物語る重要な文物が残されていてかなり見応えがあります。



次は少々離れて水城みずき

白村江の戦いで敗れた後、これを機に北部九州を中心に防衛施設が造営されます。
朝廷は朝鮮半島に最も近い福岡平野に大野城や基肄城きいじょうを築き、防人が置かれる事態となりました。
そのような中で664年に水城が築造されています。

水城は長さ1.2km、幅80m、高さ10mの土塁と内外に水をたたえた濠からなり、福岡平野の最も狭くなった場所を塞ぐように存在します。
現在は高速道路などで分断されていますが、今も崩れず残っているのはすごいですね。

現在の土塁。細長い森が繋がっているような見た目。木々はしっかり管理されているそう。
春は桜と菜の花、秋はコスモスで彩られます。
私は東門の方角から写真を撮っています。


イラストは西門側から。
こういう土塁や濠が存在していたらしい。

この外濠の幅は60m。
これは当時の弓矢の飛距離だそうです。
一方、10mの高さの土塁の上から矢を放つと60m以上の飛距離になるため、敵からの攻撃を防ぎ、且つ攻撃はできるという計算された幅になっているという。(水城館のガイドさん談)

福岡市方面からだとわかりづらいですが、水城館おすすめです!


最後に。
防衛施設の一つ、大野城(四王寺山)はぐるっと一周することができます。焼米ヶ原に車を停めれば、気持ちの良い山歩きになります。

今度は政庁側から登ってみようかな
トレランしてる人もいます。
周回コースで走りやすそう。
百間石垣。全長150m以上。


今回、天満宮の方には行かなかったので、またの機会に。

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