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目指す場所

ある芸術作品の前に立った時、自分の精神をぐっと掴まれて向こうに持っていかれるような、そんな経験をされた方もいらっしゃることでしょう。


日本の書展が巡回して来たので行ってきました。

今回特に惹かれた作品。
池田先生の「松に古今の色無し」。禅語です。
字数が少なく白が多い作品でありながら強い存在感を放ち、自ずから足が止まりました。

小ぶりなは墨が乗ってて実におもしろい。の自由さ。何ともいえぬ、「寂び」を感じさせるの造形との表情の変化。その隣にある篆刻の存在。

そして、なによりもこのですよ。

このに全てがある。そう感じます。
学書の過程、人となり、豊かな情景がこの一文字から透けているではありませんか。

中身のない字とは全く違う。
ただ、迫力や華美を求めているだけの字とも違う。


私が文字にするとこの良さを半減させてしまいそうなので、これ以上書くのはやめましょう。

禅語ですから。

この展覧会は終わってしまいましたけれど、ホンモノを鑑賞していただくのが一番ですね。



一生の中で、書のピークはいつごろ来るのでしょうか。
20代、30代でその人の代表作といえるのものが出来上がることはあるのでしょうか?


ただ技術的に巧いだけでは、人を感心させることはできても感動させるまでの水準に至ることは少ないものです。

書を学ぶ人間は次のような道を辿ります。

不巧  →  巧  →  不巧

目指すところは最後の「不巧」です。
ここに至るためには、ある程度人間が出来上がらないといけません。つまり、多くの人は歳を重ねながら字が完成されてゆくということです。
勿論、気力と体力が充実しているというのが前提です。



池田先生の字を観ていると、この水準に至るまでの修練は並ではなく、相当な時間が必要だろうと思います。

薄っぺらい人間が書ける字ではないことは明白であり、何十年、ただ技術だけを磨いて到達できる境地でもありません。

人間性の涵養、修練を絶えず続けたものにしか、美を昇華させることはできないのでしょう。



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