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4月某日、ナルキッソス

山の方に新しいサウナが出来たというので行ってみると、素っ裸で整っているTがいた。Tは恋人と毎週のようにここに通っているという。もうすぐ結婚するという。 Tの恋人は美樹という。数年前僕は歯医者の娘と付き合っていて、好きじゃなかったが、裕福なので大事にしていた。当時の僕は借金まみれの素寒貧で、彼女の実家を頼りにしていた。美樹はその子の幼馴染だった。 歯医者の娘は大学生になったばかりで、美樹より先に恋人が出来てうわついていた。お節介にも美樹に彼氏を作ってあげようと夢中だった。僕

    • コミュ障なので

      また残された。なんのために生きているのか。 『TAKE 2』にMVを付けたいという連絡を頂いて、そうですか。はい、どうぞとなった。コミュ障なので黙っていたが、密かに楽しみにしていた。 あれは去年の夏だったろうか。8月だ。8月の太陽が地表の花という花を腐らせる頃。夏は死の匂いで立ち込めている。街はそれを胡麻化そうと躍起だ。関越は坂戸を越えた辺りから植生が化け、人の住んでる気配がする。山が遠のく。手の届かない空。三芳PAで降り損ねたから、野方のコインパーキングに停めて立小便を

      • 秋なので

         秋なので、懐かしさに侵されてる。  前田が言っていた北口のカレー屋のことや、歩の部屋の窓から見た向かいの家のカーテンなど、およそ斜陽という斜陽に射抜かれた風景の数々をなんの脈絡もなく思い出している。唐突に思い出しては握り損ね、記憶は鮎の掴み獲りみたいにつるりと秋空を横切って行く。  ヒワが鳴く。夏の名残りを匂わせる。  ■  アパートのロフトには万引きした本が積み上がっていて、読みもしない室生犀星の全集が、ページを開いたこともないのに、子供の頃から慣れ親しんだ実家の

        • 中学の頃

           中学の頃、美しいものを全て見てしまった気がする。  朝霜。快晴の富士。校庭の残雪。午前のまどろみと、窓外の碧、碧、碧。千切られた教科書の紙吹雪の中には、啄木の歌、ひざまづく裸婦、二・二六。隣の席の女子は今日もいない。  午後の静けさ。ぎこちない性と、剥き出しの暴力。束の間の薄暮。初めて煙草を吸った夜、僕の右手はふるえていた。何に怯えていたのだろう。  ■  思い出の景色にはいつも音楽が流れてる。  当時気になっていた女の子が合唱祭でピアノを弾くというので、体育館の裏

        4月某日、ナルキッソス