中学の頃

 中学の頃、美しいものを全て見てしまった気がする。
 朝霜。快晴の富士。校庭の残雪。午前のまどろみと、窓外の碧、碧、碧。千切られた教科書の紙吹雪の中には、啄木の歌、ひざまづく裸婦、二・二六。隣の席の女子は今日もいない。

 午後の静けさ。ぎこちない性と、剥き出しの暴力。束の間の薄暮。初めて煙草を吸った夜、僕の右手はふるえていた。何に怯えていたのだろう。

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 思い出の景色にはいつも音楽が流れてる。

 当時気になっていた女の子が合唱祭でピアノを弾くというので、体育館の裏に聴きに行った。謹慎中で中では聴けない。天体のように自転しつつ、翼のような藁半紙を吐き出しながら落下する教卓と、あれほど恋い焦がれた地面に触れて氷柱のように砕け散る窓ガラス。僕らはそれを祭りのように眺めていた。

 初めてだった。あんなに空が青かったのは。僕らは共に罰を受けた。そのささやかな儀式の共犯でありたかった。その前日、仲間の一人が少年院に送られた。

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 ピアニストの女の子には彼氏がいたので、僕は別の子と付き合っていた。趣味が気取っていて、鼻についた。スプートニクの恋人を読んでいた。好きじゃなかったので、つらく当たった。

 彼女がくれたターコイズブルーのMDを未だ覚えてる。四角いシールのラベルには、何度も書き直したようなわざとらしい小さな字で収録曲の名が書き連ねられていた。バッハのアリア。ベン・フォールズのPhilosophy。椎名林檎のギプス。ドビュッシーのアラベスク。オアシスのDon't Look Back in Anger。トレヴァ―・ピノック指揮、イングリッシュ・コンサート演奏のパッヘルベルのカノン。その脈絡のない、好きなものを蒐めただけの稚拙で無邪気なプレイリストを、高校に上がると同時に捨ててしまって久しい。

 中学を卒業する年の冬、それを聴きながら二人で日の出を見た。彼女が夢中でかぞえていたのは、鷺だったろうか。悪いことをしたと思ってる。

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 佳く晴れた朝に思い出す。もう何年も昔の話だ。あの頃あれほど憎んでいた意地汚い大人に、僕はなれただろうか。

 当時のことを歌詞に書いてみようと思って、なんとなく、彼女の名前を検索窓に入れてみた。結果が表示されて、胸が高鳴った。立派な職に就いていた。
 ページを開かず、ブラウザを閉じた。僕は相変わらず子供のままだ。ほんの少しだけ前に進めた気がした。

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