コミュ障なので

また残された。なんのために生きているのか。

『TAKE 2』にMVを付けたいという連絡を頂いて、そうですか。はい、どうぞとなった。コミュ障なので黙っていたが、密かに楽しみにしていた。

あれは去年の夏だったろうか。8月だ。8月の太陽が地表の花という花を腐らせる頃。夏は死の匂いで立ち込めている。街はそれを胡麻化そうと躍起だ。関越は坂戸を越えた辺りから植生が化け、人の住んでる気配がする。山が遠のく。手の届かない空。三芳PAで降り損ねたから、野方のコインパーキングに停めて立小便をした。

gallerylippに個展を見に行ったのは、作品を観に行くためか、それとも彼女に会いに行くためだったか。コミュ障なのでこれと言って話すこともなく、展示を見ている振りをした。帰り際、目を合わそうとしなかった。変わった人だと思った。今ならその意味がよくわかる。君は人よりもずっと野良猫に似ていた。

〆切に追われると完成した時の達成感や歓びが置いてきぼりをくらって、心に穴があいてしまう。コミュ障なので、通り一遍の祝福をしてメッセージを閉じた。本当は嬉しくて、こっそり何度も何度も観た。君の描く絵が好きだった。

作家は一生分の作品を作り終えた時に眼を閉じるのだ。死は一冊の本の終わりをしか意味しない。なのに泣きたくなるのはなんでだ。人は出逢った瞬間からいつか必ず別れることが決まってる。往く人がいれば、必ず残される人がいる。僕は残されてばかりだ。

もしかしたらたちの悪いドッキリで、そのうちひょこっと出て来るんじゃないかといつも思う。いっつもだ。戻って来た試しはないけど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?