見出し画像

小学生から大人まで。心を豊かにしてくれる、児童文学のすすめ。


文学は、心の栄養剤だと思っている。


私のことを、「本と歌舞伎が好きな人」と認知してくれている人は多いらしい。私は間違いなく、相当な、本の「オタク」だと思う。
本を好きなだけ買って、好きなだけ本棚を家に並べて、ずらっと並んだ本を眺めて生きる事が人生の目標だと言っても過言ではない。

(サムネイルは私の部屋のごちゃごちゃな本棚…)

私の読書好きは、幼少期から始まっている。
人生で一番本を読んでいた時期は小学生の頃だった。第二反抗期が早く来すぎて(小2!)友達がいなかった(単純に性格が悪かったのもある。反省。)ことも相まって、休み時間は小学校の図書室にいるか、自教室で本を読んでいるかしている子どもだった。
冬はスチーム暖房に引っ付いて読書をしていたことを覚えている。

本好きが高じて大学時代に書店員のアルバイトをしていた時、一番楽しかったのは児童書を買いに来たお客様に「おすすめない?」と聞かれて本を見繕うことだった。
児童書担当ではなかったが、私の児童文学好きは有名だったのでいつも対応が回ってきていたのだった。(本来の担当は学習参考書と知育)


児童書って本当にすごくて、100年以上も読み続けられているものがゴロゴロ転がっている。それも「古典」といった扱いではなく、当たり前のように書店に並んでいる。
なんなら平積み(書店で何冊も棚に積むこと)されていたり、面陳(書棚に表紙を見せる形で並べること)されていたりも当たり前。

芥川龍之介の『藪の中』と同年の1922年にアメリカで初版された作品が、『ドリトル先生アフリカゆき』だ。
ドリトル先生シリーズが実は100年前の作品だなんて、考えられる…!?
そう、児童文学は古くなる事がない。なんの気負いもなく何世代にもわたって読み継がれることのできるジャンルなのだ。
(※芥川が古いなんて全く言っていません)


児童文学は、やさしさや強さの元になる。

児童文学には、この世の全てが詰まっている。大袈裟だろうか?ううん、そんなことはない。

誰かと友達になった瞬間の喜び、喧嘩をした時の苦しさ、仲直りの甘じょっぱさ、別れの後の心の穴も。大きな失敗も、大きな成功も。辛い時の色を失った世界に、苦しみから解放された時の色付いた世界も、歓びにあふれた時の空の鮮やかさも。

私はまず本で経験し、そして現実世界で体験した。
現実世界で体験したことを、本の中で再び経験して物事を理解した。

誰かにやさしくすることが難しくてたまらなかった子どもの時、私の人生の指針は本の中にいるお姉さん、お兄さんたちだった。もうとっくにその人たちの年齢は越してしまった気がするけれど、私の中には今もみんなの声が残っている。

やさしさも、強さも、全部児童文学から教わって育ってきた。
もしも私のことを「やさしい」「強い」と言ってくれる人がいるのだとしたら、それは全部、素晴らしい書物をこの世に生み出してくださった作家さんたちのおかげだ。

やさしさや強さといった心の根幹にあるものは、児童文学をもとに形作られてきた。


兎にも角にも、私の児童文学への愛はそこらの人よりもよっぽど深い自信がある。いまだに書店の児童書コーナーは絶対に確認する。絵本や児童書を知り合いや家庭教師先に紹介することも多い。

そんな私が、大人になった今でも読みたいと思う、名作「児童文学」をご紹介しようと思う。

今回ご紹介するものは、概ね小学校中学年ごろからは読めるのではないかなあと思うものだ。もしかしたら少し難しいかもしれないけれど、心に残るはず。

学校がお休みでやることのない小学生や、大人になってしまったことに疲れた大人の皆様に、手に取ってもらえたならば元書店員冥利に尽きる。


■コロボックル物語シリーズ

2017年に亡くなった佐藤さとるさんの名著。「日本初のファンタジー小説」と謳われている。世界の奥深さを教えてくれた大切な本。
訃報を知った時には思わず泣いてしまった。

小学校3年生のときだった。もちの木をさがしにいったぼくは、こんもりした小山や杉林にかこまれた、三角形の平地をみつけた。小さないずみがわき、まっかなつばきの花のさく、どこかふしぎな感じのする場所だった。──そして、とうとうぼくは見た。小川に流れていく赤いくつの中で、虫のようなものが動いているのを。小指ほどしかない小さな人たちが、手をふっているのを!

自分の身近にもちょっとした不思議が隠れているのではないかと、世の中には人間にはあずかり知らぬものがひっそりと存在しているのではないかとわくわくしてしまうこと間違いなし。
そして、そんな自分たちとは違う存在とも優しく寄り添っていけるのだということを信じたいと思える。

人間であるぼくの視点から書かれた『だれも知らない小さな国』はもちろん大好きだけど、コロボックル視点の『豆つぶほどの小さないぬ』がシリーズの中でも一番好き。

2014年には、佐藤さとるさんの大ファンで「作家になったきっかけ」ともおっしゃっている有川浩さんが受け継いで続編を出版している。なにそれ尊い…。

目の前に見えていないものを思い描き、そしてそれを慈しむこと。
そんな優しい想像力を忘れない人間でありたいと、今改めて思う。

私は今でも、コロボックルはどこかにいると信じています。


■クレヨン王国シリーズ

福永令三さんによる超・人気シリーズ。
図書館にずらっと並んでいるところを見たことのある人も多いのではなかろうか。福永さんも2012年にお亡くなりになっている。
ああそっか、クレヨン王国って終わっちゃうんだ…とショックを受けたことを覚えている。

2011年から「ベストコレクション」という形で新装版が出版されている。

家出した王さまをさがす王妃さまとユカの不思議な旅。大みそかの夜、ユカが目をさますと、12色のクレヨンたちが会議をひらいていました。なんと、クレヨン王国の王さまが家出してしまったのです。王妃さまとユカが王さまをさがす、不思議な旅の結末は?ロングセラー「クレヨン王国」シリーズ新しいイラストで読みやすく!

個人的には昔の装丁の方がクレヨン王国らしい気がして好きだな…。こちらは「クレヨン王国クラシック ベスト10」として出ている。

クレヨン王国シリーズには、
 ①クレヨン王国にこちら側の人間が迷い込む物語
 ②クレヨン王国内での物語           の2種類がある。
どちらも間違いなくファンタジー作品なのだけど、それにもかかわらずものすごく「現実」を突きつけてくる。
子どもの作品だからといって綺麗事で終わらせていないのである。

中でもオススメは『クレヨン王国のパトロール隊長』。

復刊がまだされていないらしくKindle版しかない気がする…。


この『クレヨン王国のパトロール隊長』を読んだ時の衝撃は忘れられない。ネタバレは罪なので詳しくは言えないけれど、これは①のクレヨン王国に現実から迷い込むパターン。現実は主人公にとって地獄。そして恐ろしいことに、クレヨン王国も地獄だった。

このお話を読んで、現実から目を背けても、どれだけ違うところに逃げても、自分にとって苦しいことからは逃れられないのだという絶望を知った。
そしてそれに立ち向かうこと、向き合うこと、仕方ないと時には諦めて受け入れること、そういったことがどれだけ難しく、そして素晴らしいことかを教えてもらった。

世界は綺麗なだけではない。でも、それでも良いじゃん、ね。


■守り人シリーズ

私の神様、上橋菜穂子さんの代表作、守り人シリーズ。
小学校4年生くらいに出会ってから、そこからもうずっと大好き。私の神様。

2014年には、児童文学に対しておくられる「小さなノーベル賞」、国際アンデルセン賞を受賞されている。そう、世界の認める神様みたいな作家さんなのである。

舞台となるのは、異界と人の世界が交錯する世界 ── 。 腕ききの女用心棒・バルサはある日、川におちた新ヨゴ皇国の第二皇子・チャグムを助ける。チャグムは、その身に得体の知れない"おそろしいモノ"を宿したため、「威信に傷がつく」ことをおそれる父、帝によって暗殺されそうになっていたのだ。 チャグムの母・二ノ妃から、チャグムを守るよう依頼を受けたバルサは、幼ななじみの薬草師・タンダの元へ身を寄せる。そして、バルサとチャグムは、タンダとその師である呪術師のトロガイから驚くべきことを告げられるのだった ── チャグムに宿ったのは、異界の水の精霊の「卵」であること、孵化まで守らないと大干ばつがおこること、そして、異界の魔物がその「卵」をねらってやってくること ── 。 帝のはなつ追っ手、さらに人の世の力をこえた危険から、バルサはチャグムを守り抜けるのか? バルサとチャグムの出会いから始まる、「守り人」シリーズの第1作。

新潮文庫でも出ているのだけれども、私は偕成社の軽装版をおすすめしたい。挿絵が素敵だから…!!

全13巻のセットも出ている。
私が持っているのは12巻セットなので、これもちょっと欲しい…(流石に買いませんが)。

一巻を読んだら確実にはまるので、どうせならば全巻セットを買うことをおすすめします。箱に入っていて嬉しいので。

守り人シリーズ、あまりにも老若男女に読んで欲しすぎるので、私が大富豪になったら全国民に配りたい。


他者のために在るとはこういうことなのだと、そしてそのためには強くあらねばならないのだということを教えてくれたこの本。
甘ったれた綺麗事だけでは誰のことも救えない。まずは自分の手に、自分を救えるだけの強さを持たなくてはいけないと学んだ。
時には人に頼り、人に助けてもらうためにも、まずは自分自身を強くしなくてはいけないのだ。

主人公のバルサは30代。はじめて読んだ時にはとてつもなく大人に思えた。でも、まもなく私も25歳になる。
バルサの歳になるまでに、私はきちんと強くなれるだろうか。
バルサはとてつもなく武闘派で強いのでそこはもちろん真似できないけれど、誰かのために全力を尽くせる心の強さは、私にも身につけられるのではなかろうか。

目指すべき大人の姿が、ここにある


書物に関わってくださっている全ての方々へ

まだまだまだまだ紹介したいものはあるのだが、すでに4000字を超えてしまっている。今回はここで打ち切りにして、またいつか語りたいと思う。


私のようなうまく世間と折り合いをつけられずに苦しんでいる子どもを、書店や図書館は受け入れてくれて・救ってくれる。

小学校の図書室が無ければ、地元の駅前の本屋さんが無ければ、あの本たちに出会わなければ、私は今生きていないような気がしている。
たかが本かもしれないけれど、私にとっては、この世界で生きるための命綱だった。小学生の時から、今までずっと。

今は気軽に足を運べない世の中だけれども、街から書店や図書館の暖かい光がいつまでも消えないことを心から願っている。


素晴らしい物語をこの世に生み出してくださった作家さんと、その作品が形になるために尽力してくださった出版社や印刷所の方々、そして書籍を手元に届けてくださっている出版取次や書店の方々に、誰もが書物を手に取れるようにするために日々尽力してくださっている図書館の方々に、心からの敬意を評します。

私が今ここにあるのは、書物に関わっている皆様のおかげです。


私は、文学の力を信じている。

中でも児童文学には、子どものそして昔子どもだった大人の、心を豊かにしてくれる魔法が詰まっているのだと信じている。

いつまでも信じていたいし、夢見ていたい。


いただいたサポートは、読書に美術館に歌舞伎鑑賞につぎ込ませていただく所存です。