今年はじめての海の話
夕暮れの5時か6時
地中海は亜鉛に変わる
君が腰掛けるには冷たすぎるだろう
──"カンヌ" ジャン・コクトー
私が今年最初に見たのは淡路島の海でした。
新たにやって来ることになった子犬の迎えに明石海峡大橋を車で渡り、そこから眼下に広がる瀬戸内海を眺めました。
天気は良いもののまだ寒すぎて海遊びの人もおらず、出ているのは漁船ばかり。沖に向かってフェリー船がゆったりと遠ざかって行くのが見えました。
けれどもそれはただ"見た"というだけで、私は海の水に触れてもいません。
長い橋を渡りきった車は山道に入り、海はといえば時おり崖下の彼方にきらめくだけの遠いものとなりました。
それではもっと海に近づいた時はというと、この間の夜に海を"聴いた"時です。
その夜は声楽家の知人が出演する音楽会のため、幹線道路沿いのビルに設けられたホールに出かけていました。
プログラムの中ほどで登場した彼女はヴェルディやモーツァルトのアリアを歌い、素晴らしいメゾ・ソプラノを艶やかに響かせます。
それでもあえて失礼を承知で書くと、彼女の歌は超絶的に上手いというわけではありません。誰もが聞き惚れるような声ですが、もっと美しい声、高い技術を誇る歌い手も珍しくないでしょう。
彼女の格別さといえば、その歌が演劇のごとき物語性を帯びていることです。
彼女のステージを見る度、私は決まって日本の古典芸能である能楽を連想します。
能舞台は演者の後ろの、松の描かれた鏡板だけが背景の全てです。
それが不思議なことに、その前で演者が謡い舞ううちに、その場にははっきりと難波津が、安宅の関所が、隅田川の川べりが出現します。
観客が自らの想像力でもってそれらの場所や景色を再現すべく、一種の共同作業のように舞台を作り上げていく力量を、舞台上の演者たちは持っています。
安土桃山時代の目も綾な能装束を纏って古の言葉で謡う能役者さながら、シルクの夜会服で西洋の歌を歌うソプラノ歌手が、ほとんど同じことをしてみせるのです。
カタラーニのオペラ『ラ・ワリー』の有名なアリア〈さようなら、故郷の家よ〉を歌う時も、彼女の声の向こうには歌詞通りの景色が見えます。
旧いイタリア映画に描かれるような農村風景、質素ながら心地良く整えられた家、その場所を今まさに離れんと佇む娘、といった光景です。
この人が歌う時、なぜそんな現象が起こるのかという私の疑問は、その夜のコンサートで解消しました。
数曲を歌い終えた彼女は一旦舞台から退き、次にもっと目立たないロングドレスで再び舞台に登場しました。
手元には革表紙の本を持ち、舞台の中央に据えられたマイクに歩み寄ると、一礼してジャン・コクトーの名を告げて、おもむろに詩の朗読を始めます。
客席には一瞬、戸惑うような空気が流れました。
音楽会で演奏もなしの朗読とは、確かにめったとない展開です。
観客席のかすかな動揺をよそに舞台では滑らかに詩が読み上げられ、声楽家ならではの豊かな声量と音楽的な抑揚のついた朗読が、ホールいっぱいに広がります。
それに耳を傾けつつ、私は彼女の歌がなぜ舞台上に背景を生じさせるのか、初めて理解できました。
原因はまさしくこれで、詩と物語です。
彼女は譜面に書かれた歌詞を忠実に発声するだけでなく、そこにしっかりと意味と物語とを乗せていたのです。
それは、彼女の中にそれらの歌詞の描く世界が住まっているからだとも言い換えられます。
舞台で朗読するのにジャン・コクトーの詩を選ぶ点からも、彼女が心底から詩を愛していることが伝わります。
オペラ歌手がたとえばボードレールを朗読するなら、どこかいかにもといった感がありますが、コクトーともなればそこに単なるポーズ以上の強い思い入れを感じさせるのです。
この人はきっと普段から多くの詩に触れていて、だからこそいざ歌う時も内側の物語性が溶け込み、声に乗って外部にまで流れ出していたに違いないと思わせます。
およそ15分間ほどの朗読の間中、コンサートホールの暗がりには海が広がっていました。
読み上げられた詩は全て海にまつわるもので、大海原や砕ける波だけでなく、板張りの海辺の歩道、シトロンやミントシロップを注いだサイダー、崖の上に建つ豪奢なホテル、水夫と女給と船宿の女将、おなじみの"海の響きを懐かしむ貝の殻"も登場し、私はコクトーの描き出すマントンやニースやカンヌの海辺に揺蕩っているような心持ちになりました。
ふだん詩は目で読むだけで、耳で聞くことはまずないものの、コクトーの眩惑的な言葉は素晴らしい読み手によって、より魔術的で不可思議な魅力を与えられているかのようでした。
やがて本のページが閉じられ声も途切れましたが、確かな名残は今もあります。
朗読された詩や客席の暗がりを回想する度、身内に海の気配を感じるからです。
都会のビルのコンサートホールにて、今年はじめての海に触れた、不思議で得難い体験でした。