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「女王様と奴隷の方が」

『趣味はジャンピング鑑賞』などという話を書き、毎日欠かさずポットティーを飲む紅茶派です、と宣言しておきながら、私はコーヒーも大好きです。

外出先で美味しい専門店を探すのはもちろんのこと、そんなお店で販売されるドリップバッグを買い求め、自宅でちょっと特別感のある一杯を淹れるのも楽しいところ。


聞くところによるとこのドリップバッグは日本独自の文化らしく、事情を知らない外国人観光客は、ホテルの客室に備え付けられたコーヒーカップとドリップバッグのセットに大いに戸惑うといいます。

説明文を読んでも使い方がよくわからず、本来ならカップの縁に本体をセットするものを、インスタントコーヒーさながら中身を全てカップの中に入れてしまったりと、ドリップバッグでコーヒーを淹れるのはなかなかに難しいらしいのです。


かくいう私も人のことは笑えず、カップへのセットはさすがに出来ても、そこにお湯を落とした際、コーヒー粉が上手くふわりと膨らみません。

それを解決するための手立てといえば、まず考えられるのは通常のフィルターを使ったハンドドリップコーヒー同様、注ぎ口の細いポットを使うことです。


私はコーヒー専用の小さなドリップポットも持っていますが、それは全体が琺瑯ほうろうで出来ているため、火にかけると熱くて素手で持つことが不可能です。
そのため布巾やミトンの用意が必要で、これが手間で戸棚にしまったままなのですが、ふと、取っ手部分に籐を巻けば良いのではと思い立ちました。

そうすれば実用的なだけでなく見た目もお洒落に仕上がり、より愛着の湧く一品になりそうです。


張り切ってあれこれ調べてみると、ネットショップでも加工用の籐を扱うサイトは意外に多く、籐専門店まで見つかりました。

好都合にもそんなお店が私の家からほど近くに実店舗を構えており、一般客の買い物も可能といいます。


さっそく時間を見つけてお店に足を運ぶと、奥に工房も備えた広い店内には様々な籐製品が並べられ、籐製チェストの上には籐で編んだペン立てや小物入れが、南国風の揺り椅子の上には籐の子犬まで座っています。

気をそそられるそれらの品を眺めるうちにお店の方に声をかけられ、来店理由を説明すると、資材コーナーに案内されました。

針金のように細い籐紐から竹刀と見紛う太い丸籐まで、さすが専門店といったバラエティ豊かな取り揃えのうち、私の場合ならこれで十分だと、丸芯(丸籐の皮の部分を挽いた中身の部分)の幅3ミリ、という極細の籐紐を選んでもらいました。


これで勝利は目前、と言いたいところですが、籐はここからが大変で、このままでは堅くて加工できないため、あらかじめ水やぬるま湯に浸して全体を柔らかくし、水気が飛ばないうちに素早く作業を終えねばなりません。

以前、他のもので挑んだ時にはこれがどうしても上手くいかず、悪戦苦闘の末、全てを放り出した思い出が蘇ります。

私のそんな黒歴史も、このサイズならば大丈夫、今度こそ成功しますよ、と五十代半ばと思しき、ふくよかで優しい風貌の女性店員さんが笑ってくれます。


聞けば加工用の籐には無数の種類とサイズがあり、私の買い求めた商品は一般的なクラフトなどに使われる、最も扱いやすい部類だそうです。

逆に最も難しいのは、家具の製作や補強にも使われるベルトサイズの平棒で、これは時間勝負の要素に加えて力や器用さも必要と、扱いの難易度は桁違いです。


こんな資材はそれなりに値段もしますし、やはり専門の職人さんなど、その道のプロが使うのかという私の問いに、店員さんは、ほとんどはそうだけれど、他に意外な人たちが意外な用途で使うこともある、と教えてくれます。

一体どんな使い方をと思って尋ねると、返ってきた答えが

ムチです」


鞭、とオウム返しに口にすると、店員さんもうなずきます。

「これが一番いいそうです。そうおっしゃってましたから」
「となたが?」
「女王様と奴隷の方が」


動揺のため、妙な声が出かかるのをどうにかこらえました。
"女王様"に"奴隷"。
よもやこんなところで、そんな破壊力抜群の単語に出会うとは。


しかも店員さんは、さも当然のごとき顔のままです。

「濡らせば好みの堅さに調節できるし、使ってみたら、とても具合が良かったそうです。
予備も含めて3本お買上げいただきました」
「あの、それは使い方が激しくて破損した時のためでしょうか」
「そうですね。それとも3本まとめて使われるのかもしれません」


とても休日の昼下がりに、明るい籐専門店のフロアで交わされる会話とは思えません。

けれど、よせばいいのに私も好奇心に逆らえず、さらに尋ねてしまいます。


「そういった使い方は、意外とよくあるものなんですか」
「いえ。私の知る限り初めてですね。
なので、そんな使い道もあったのかと非常に勉強になりました」
「特別に想像力のある方たちなんだ…。
ちなみに、どんなお二人だったんですか?」
「特にこれといって変わったところもない、普通のご夫婦みたいでしたよ。
鞭打ちにはどの太さが最適か、仲良く相談なさってました」
「だから何に使うかお聞きになった?」
「プレイに使うんです、ってあちらから教えてくださったんです、奴隷の男性が」


もしやそれも女王様の命令によるプレイの一環では、などと勘ぐりつつ、なんだか頭がくらくらします。

間違ってもあやしげな話など口にしそうもない年長の店員さんが、淡々とそんなことを語るのを聞くうち、まるで異次元に嵌まり込んだかのような感覚に襲われます。


それでこれ以上の追求は止めにして、会計を済ませてお店を後にしました。
素敵なポットに仕上がると良いですね、という優しい言葉に送られながら。


結果、店員さんがぴったりのサイズを選び、丁寧にコツも教えてくれたおかげで、籐紐も初めて上手く巻けました。

私のポットは可愛らしく使いやすい姿に生まれ変わり、これからますますコーヒーを飲む機会も増えそうです。

作業中、器に張ったぬるま湯に籐紐を浸しながら、同じように籐紐を濡らしてお楽しみの準備に勤しむカップルの姿など、思い浮かべもしませんでした。もちろん。



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