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“播州のおやさま”に呼ばれたかもしれない話

「もうご飯は食べた?」

アジアのいくつもの国や地域で、定番となっている挨拶です。
食事時に誰かに出会った場合、高確率でこの質問が投げかけられるのは、私も何度か経験ずみです。


この言葉への返答に、もしも
「まだ食べてないんです…」
などと返すと、相手は使命感を持ってこちらに食事をさせてくれます。

家に招く、お店に案内する、屋台でめぼしい何かを勧めてくれる、など、とにかく
「もうお腹いっぱいです」
の言葉を聞くまでまで、こちらの胃袋の心配をし続けてくれるのです。


急にこんな話をするのは、つい先日、久しぶりにこの質問を受けたためです。
それも、初めて訪れた神聖な場で、見知らぬ上品な老婦人から。

そのとき私がいたのは兵庫県・三木市の《朝日神社》という場所であり、実はそこを訪れるのは、数ヶ月前からの念願でした。


その発端は、よく一緒に神社仏閣巡りをする友人が、“井出クニという凄い女性がいる”という話を聞き込んできたことです。

友人経由の情報によると、その女性は明治から昭和にかけて類い稀なる霊力で世に知られ、霊視・千里眼・病気治癒・予言など、多彩な活躍ぶりを見せた神人しんじんだったそうです。


特に人々を瞠目どうもくさせたのが“震動”であり、一種の“気”を操ることで、数々の驚異的な出来事を起こしたといいます。

柱に触れただけで建物全体が烈しく揺れ始めたり、身体を押さえつけようとした屈強な軍人を宙に飛ばして操ったり、といった、にわかには信じがたい逸話も存在します。


普通なら、そうは言ってもね…などと懐疑的になるものですが、友人も私もこの類の話に前のめりになるタイプのうえ、朝日神社が“明治42年天より火柱が降りた聖地”だと知れば、どうにもはやる気持ちを抑えきれません。

お互いに丸一日の休みのとれる日を調整し、とうとう先日、朝日神社の入り口に立ったのですが、そこで私たちがたじろいだのは、境内のえも言われぬ雰囲気です。


場には場の空気がある、というのはきっとどなたもご存知でしょう。

たとえば駅ひとつをとってみても、同じ鉄道会社でもそれぞれに空気感が違いますし、特に神社仏閣は、境界線をまたいだとたんに肌で感じる空気が変わり、その感覚も、厳しく身の引き締まる感じ、安らぎ、涼やかさなど千差万別です。

私がことさら強い印象を受けた聖地は、伊勢神宮や、熊野本宮大社旧社地大斎原おおゆのはらなどですが、そこにはそれらに近い、何とも形容しがたい感覚がありました。


友人も同様だったらしく、私たちは小声で何だかすごいね等とささやきつつ参道を進み、やがて神殿に行き合いました。

こちらは手前に拝殿のない構造で、畳敷きの大広間の突き当たりに、立派な祭壇がしつらえられているのが、両開きの扉の向こうに見えています。


私たちがその光景に見惚れていると、参道の反対側からやってきた老婦人が、優しげな笑みで挨拶をしてくれました。

そして、どうぞ中へお入りくださいと勧めながら、食事をもう済ませたかとお尋ねになったのです。


こちらへ伺う前にいただいてきました、と答えると、残念そうに
「まあ、そうでしたか。ここには食堂があるから、召し上がってくだされば良かったのに」

今まで様々な神社仏閣にお邪魔し、参拝後にお茶のご接待を受けた経験はあるものの、初対面でまず食事を勧めていただいたのは初めてです。

そのため、外国での「もうご飯は食べた?」をひそかに思い出したというわけです。


神殿は数百の人が一堂に会せるほどの広さがあり、上り框あがりかまちで靴を脱いで、掃き清められた部屋の奥の、祭壇前に進みました。

後に聞いた説明では、祭壇まわりの飾り方は天理教の方式にのっとっているらしく、清らで美しい印象でした。


けれども私が目を奪われたのは、祭壇の上に掲げられた、額入りの大きな写真です。

それが私たちがここへ来るきっかけとなった井出クニさんであることは、一目でわかりました。
おそらくまだお若い頃の、和服で正装をなさった姿で、まっすぐにこちらを見据えています。


それは私が今までに見たどの肖像写真とも違う、息を呑むほどに生々しい存在感に満ちていました。
印画紙に焼き付けられた姿に過ぎないはずが、3Dさながら、こちらに飛び出してきそうにすら見えるのです。


その不可思議さに打たれつつ一心にお写真を見上げていると、後ろから一人の男性が声をかけてくださいました。

もう十年以上、足繁くこちらに通っているというその男性は、私たちのような一見の相手にも包み隠さずあれこれとつまびらかにし、“おやさま(井出クニ)”の生前の私室にまで案内してくださるという、畏れ多いほどの待遇でした。


しかも別の女性信者の質問から、驚きの事実を知りました。
「“お勤め”には参加なさるんでしょう?」

聞けば、午後3時から読経などの会があるといいます。
そう言われると、神殿の入り口あたりに人が集い、賑わっている気配があります。


けれど3時まではまだずいぶん時間があり、次の予定と帰り時間も計算に入れねばならないため、私たちは残念ながら不参加の旨を伝えました。

その方は意外そうな様子をしつつ、友人の
「お勤めは毎日なさっているんですか?」
の問いには、もっと驚いた表情を浮かべました。

「いいえ。今日だけ。月にたった一度。知っていて今日来たのじゃないの?」
「…まったく。何も知らずに参りました」


しばし皆で顔を見合わせた後、その女性と案内役の男性は、それぞれにしみじみと口にしました。

「すごいわ。偶然・・この日に来るなんて。“おやさま”に呼ばれたのね」
「完全に呼ばれましたね。ぜひまた、次は例祭にいらっしゃい」


お二人がおっしゃったことが真実か、私にはわかりません。

けれど、今日が特別な寄り合いの日だと知れば、お接待の食事の勧めや、神殿が開いていたこと、多くの人や案内の男性がいらしたことまで、全て納得できます。


実際、この日以外は、人を呼ばなければ神殿は閉じているそうですし、他の方の書いたウェブ上の“朝日神社訪問記”でも、静かで人気のない場所だった、何も取っ掛かりがなかった、神殿の外から手だけを合わせて帰ってきた、というものが目につきました。

けれど私たちは偶然・・この日を選んだばかりに、祭壇の前で“おやさま”にご挨拶をし、一心に“おやさま”を信奉する方々に出会い、貴重なお話を聴いた上、別のお写真や肖像画まで拝見する機会に恵まれたというわけです。


次の例祭の日取りを確かめ、心からのお礼の言葉を述べて、私たちはその場所を離れました。

帰りの車中でもまだ微かな混乱と高揚感に包まれながら、今しがたの体験について、あれこれと話し合ったことをおぼえています。


今でもあの場所の雰囲気、そこに漂っていた曰く言い難い気配に思いを巡らせると不思議な気分になりますし、本当の意味では、まだ全てを掴みかねている気もします。

そのためには、おそらくもう少し何らかの要素が必要であり、それを確かめるためにも、私たちは例祭への参加を早々と決めました。

数ヶ月後、この続きを書きたいと思います。

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