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音と音のあいだに鳴る音

ひとさじ4千円のコーヒーがある。
そう知った時は驚きました。
一杯ではなく、ひとさじです。そのひとさじは、どんな味がするのでしょうか。

私はそれを知りませんが、一滴4千円の美容液の使い心地なら知っています。
それも、フランスの五つ星ホテルのタラソテラピールームで使われるという、ありがたい一品です。
そんな化粧品を、販売員の女性はいとも気軽に、私の手の甲に垂らしてくれました。

デパートのイベントフロアの一角、フランス・ブルターニュ地方の化粧品を紹介するブースで、年季の入った女性店員さんが、またとない機会ですから、と試させてくれたのです。


海藻と花の混じったような複雑な香りを持つ一滴は、初めはとろりと半透明でした。
けれど、よく擦り合わせてみてください、という口添えで手の甲をそっと擦ってみると、次第にさらりと透明な液体に変化していきます。

「入った、という感じがいたしますでしょう?
これがこちらの凄いところなんです」
いかにも自信ありげに語る販売員さんを前に、私はこっそりと考えます。

入った、ってどこに?皮膚表面の液体が、角質層より奥に浸透することはあり得ない。それはナノ化された特殊な成分か、注射針を使った処方でなければ不可能なはず。表皮に留まるだけで真皮に届かないものが細胞修復の助けになるはずがなく、それならばこの人の言うような効果は…

もっと突き詰めて考え、その美容液の高価たるゆえんも尋ねたかったのですが、販売員さんがそれを許してくれません。
何せ、彼女は切れ目なく話してくれるのです。原料、香料、内容量、実績、評判、製造工程にいたるまで、あらゆることを。


こちらは一切の疑問や口を差し挟む余地もなく、ただそれを拝聴するのみ、といった具合です。
とにかく売り込みたいというよりは、本気でその商品の良さを確信しているからこその熱心さなのでしょうが、聞く側にはなかなかに辛いものがあります。

情報量が多すぎて知るそばから抜け落ちていく一方ですし、あまりの早口と勢いの良さに目が回りそうな気もしてきます。

さすがに一滴4千円の美容液の購入は無理でも、他のもっと手頃なオイルには興味があったのですが、説明の途中で断りを入れ、早々にそこを立ち去りました。


これは何かに似ている、何だっただろうと考えているうち、浮かんできたのは、とあるファッションイベントの光景です。

数年前、いくつかのブランドが合同で開くファッションショーに招待していただいたことがあります。
ホールの真ん中にランウェイが設置され、最新の洋服をまとったモデルさんたちが続々と行き来する、という眼福そのもののようなイベントでした。

幸運にも私の席は最前列で、モデルさんや洋服、小物に至るまで仔細に観察できます。
私はファッションはもちろんのこと、人の身体や動きにも強い関心があるため、モデルさんのウォーキングやターンの仕方、小道具のあしらい方などを見るだけでも至福の一時でした。



そうして何人ものモデルさんたちを見続けるうち、とても素晴らしく思える人と、残念ながらといった感じの人のいることに気がつきました。

皆が同じようにランウェイの端まで行って立ち止まり、また元の道を歩いて行くのですが、その動作にどこか違いがあるのです。

しばらくして、答えがわかりました。

始点と終点。動き出しと止まり方。

歩く、止まる、動く。
そのたった三つの動作のうちに、大きな差異があったのです。


ランウェイの端で歩みを止めた後、ポーズを取り、ターンしてまた歩き出す。
上手な人は、その一連の動きにブレがなく、まるで句読点が打たれたように、静と動のメリハリを感じさせます。

反対にそうではない人は、ポーズからターンへの移り方が曖昧だったり、あまりに素早く余裕がない。
動作のいちいちが座りが悪く、落ち着かない印象を与えます。

私がうがった見方をしているだけかもしれませんが、そのわずかの差のもたらすものはあまりに大きく、この人たちは誰かからそれを指摘されたことがないのだろうか、と疑問に思ってしまいました。


これは、あの販売員さんのセールストークとも共通しています。

緩急がなく、急ぎすぎ、詰め込みすぎて、次々に新しいものを披露するばかり。
これでは相手のことを考えていない、ただの押し付けと言われても致し方ありません。

そして、相手に受け取ってもらえない、相手の心に入ることができないものは、それ自体の価値を減じてしまいます。
高価な化粧品も、ニュールックも、磨きをかけたウォーキングも。
素晴らしさを評価されることもないまま、ただ行きすぎ、かえり見られないのは悲しいことです。


私たちは特にはっきりと意識せずとも、ものごとのごく微細な差異を感じ取り、判断するだけの鋭敏さを備えています。
だからこそ、必要な間、余白を軽んじることを慎まなければならないのかもしれません。

一流の芸術家はそれを熟知しており、アルトゥール・シュナーベルはこう言います。

私は他のピアニストよりも巧みに音符を弾きこなせるわけではない。
しかし音符の間の休み──ああ、そこにこそ芸術がある

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