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日本から出ていけば、あるいはなんとかなると思っていた。

9月初旬のことだ。私は単身東南アジアのマレーシアという国へ旅立った。

ちなみに、マレーシアといえば、日本人が住みたい国ナンバーワンの国として今話題を浴びている場所である。

ボンビーガールという番組でも何度も取り上げられており、マレーシアといえば、物価が安く、治安も良く、プールとジム付きの高級コンドミニアムで悠々自適の生活を送れる夢のような国として知名度も高く、まさに注目の渦中にあると言える。

では、私はこういった理由ゆえに、マレーシアへ移り住むことに決めたのかと言えば、そうではない。

では、いったいその理由はなんなのか。

特段、人に言えるような立派な理由らしい理由は特になかった。強いて言えば、英語を上達させるためだとか、そういったところであったと思う。

人に聞かれればそう答えていたし、その理由自体に嘘偽りはない。

しかし、実は人に言うことを避けていたもうひとつの理由があった。

それは、日本でやっていく気力を失くしたから。

もちろん、無理して今まで通り頑張ればどうにかなるだろう。

しかし、正直メンタルの限界を感じた私は、『海外で働いてみませんか』と文字に踊らされ、逃げるようにして日本をあとにすることを決意したのだった。

しかしその結果、私はたった2か月で、日本へ帰国することとなった。

帰国してから1か月が経ち、精神的にも落ち着いてきて、語る気力も出てきたため、とりあえず、マレーシアで何があったのか順番に語っていこうと思う。

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マレーシアで何をしていたのか

最初の一か月は会社の同期兼ルームメイトたちとぶらぶらそのへんを観光をしていた。

日本では味わえない非日常感を肌で感じられるという意味では刺激的であったと思う。

一方で未だ発展途上国ということで、やはり道路はボロボロ、そこらへんの掘っ立て小屋のような屋台は見るからに不衛生であるし、欧米諸国のようなはっと驚くほどの目新しいものにはありつけず、一昔前の戦後の日本というイメージがなんとなくオーバーラップしてくる。

また、物価はさほど安いとは思わなかった。おおよそ日本の2分の1程度。質のいいサービスを受けようと思えば、日本のものよりも高かったりする。これが発展途上国の現状なのだ。

さらに、こればっかりは仕方がないものの、日本の便利さを感じずにはいられないのも難点だろう。トイレ事情である。

多民族国家のマレーシアは、トイレの使い方ひとつとってもそれはそれは非常に大変だった。トイレの横にホースが取り付けてあるのだが、マレーシア在住のインド人は用を足した後、そこから水を出して洗浄するのだ。紙を使用する文化がないのでトイレは常に水浸しで便器もびっしょびしょ。

特に神経質というわけでもない私ですら顔をしかめてしまうぐらいなので、潔癖症の方にはマレーシアでの生活は苦痛極まりないだろう。

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英語は上達したのか

結論から言えば、何とも言えないところである。

まあ、全く上達しなかったと言ってしまうのも悔しいので、変化があったような気がするとだけ言って無駄な悪あがきをさせてほしい。

マレーシアの第一言語はマレー語だが、第二言語が英語でありマレー人以外マレー語は喋らないため、マレーシアで生活をされている方は基本的にみな英語を話している。

なので、日常生活において英語は必須と言えるが、完璧な英語である必要は全くない。

ちなみに、お隣のシンガポールにはシングリッシュという独自の言語文化が存在している。

ある種シンガポールの下位互換のような位置づけにあるマレーシアが、完璧な英語など話しているわけがないことぐらい渡馬する前から百も承知であったはずなのだ。

マレーシアへ行くのは英語力の上達のため、なんてのは海外をよく知らない両親や親族を煙に巻くための口実だし、くだらない大義名分に過ぎない。

マレーシアという国において、日常生活レベルのみの使用に留まった状態で英語力を磨くということ自体正直現実的ではない。

口から自然に英語が飛び出してくるレベルにまで上達するには、仕事先でも英語を使用する環境でなければまず実現は難しいだろう。

実際レベルにもよるが、英語に慣れることはできるように思う。

言うても、私の英語力は英検2級止まりであるので説得力は不十分かもしれないが。

やりたいことはできたのか

やりたいことというのは大まかにいえば、自己実現だろうと思う。

例えば、第二の故郷と言えるような場所を作ること、そして自分に自信を持つこと。その延長線上に、環境上困難と理解しつつも、あわよくば英語力が乗っかればいいと思っていたが、やはりうまくはいかないものだ。

加えて、海外で暮らしている自分というステータスがほしかった部分もあった。現地での永住も考えて、渡馬前に日本で冬服をほとんど処分してきてしまったぐらいだ。

ここまで書いてみて改めて思ったことだが、私は本当に、このマレーシア行きにかけていたし、自分を変えるために本気だったと言える。

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なぜ日本へ帰国したのか

結論から言おう。日本にいた時と同様、もう頑張れなくなってしまったからである。

仕事へ行こうとすると、手が震え、汗ばみ、呼吸がしづらくなる。いわばパニック障害になったのだ。

どんな仕事をしていたのか、おおやけにはできないが、仕事柄とにかくストレスフルだった。

周囲の人間には恵まれ、心配してくれる同僚もいたが、仕事内容が過酷だったのだ。もちろんそれを承知で渡馬したのだから、いまさら何を言うのかといったところではあるのだが。

来たばかりの当初は緊張と興奮で抑えられていたストレスが、ここへきて限界を超えたために、一気に噴出したのだろうと思う。

なんだかんだで、マレーシアに期待をしていたのだ。こんな過酷な仕事でも、異国の地にいるという非日常感がきっと自分を成長させてくれると。

日本ではないこのマレーシアが、自分を奮い立たせてくれるはずだと。

しかし日に日にその希望が不安と焦燥によって食い破られ、やがて『なぜこんなマレーシアくんだりまで来て、こんなどうしようもない仕事をしているのか』という疑問を抱えるようになってしまった。

交通費は一切出ない。
毎回使用するタクシーは料金が定まらず、その日の天気や渋滞によって高額になる。
初めの半年間は給料からタックス28%持っていかれる上にマレーシアの総務担当は給与計算を間違える。
上司は言うことが毎回食い違う。
時間管理が厳しく好きにトイレに立つことができない。休憩も同様。
冷房の調節ができないため、常に分厚い上着を着用していないと確実に体を壊す。
相次ぐシステムエラーに永遠に終わらぬクレーム処理。
季節柄雨季も重なって低気圧で起き上がれないほど憂鬱。
アパート契約で思わぬ事故が発生する。

塵も積もれば山となる。
私はとうとう推進力を失ってしまったのだ。

なによりも、私はそこまでマレーシアという国が好きなわけでも、マレーシアという国にこだわりがあったわけでもないことに気づいてしまった。

この国で頑張る意味はいったいどこにあるのか。

その答えが出せないままに謎の高熱が続いた私は会社を休み、病院へ向かった。

マレーシア人の上司は『君がかかったクリニックは会社が提携している病院ではないから、通院代は出ない』と無碍もなく言い放つ始末。

通院にかかった費用は日本円で約30000円。

頑張る意味を見出だすことはもうできなくなっていた。

会社を休んでから2週間。私は日本へ帰国する決意を固めた。

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マレーシアへ行って良かったかどうか

良かった。

そう思わなければ自己嫌悪で自殺しかねない。

なんといってもやはり、日本以外の国を知ることができたのはいい経験だったと思う。

自分一人の力だけでここまで来れたわけではないのだが、それでもなんとかなるのだという確信は自己肯定感にもつながるはずだ。

マレーシア生活でもたらしたものは目に見えないものも含めて数多くあるだろうが、そのひとつが、かけがえのない友人の存在だった。

縁があれば、またマレーシアの地で会えたらと思う。


まとめ

日本だろうがマレーシアだろうが、根本的な解決ができなければ場所を変えても同じ悩みを抱え、その負のサイクルからは逃れられないことを身をもって知ることができた。

だがしかし、だ。そうはゆーても、一時的な逃げであっても、それで救われるものがあるならそれはそれでかまわないんじゃないのか?とも思う。

特に、私のような人間に言えることだが、我慢して死ぬぐらいなら、死なない方法の一環として海外へ渡るのも間違いじゃない。

考えて考えて苦しんだ末にそれしか選択肢が残ってなかったのなら、もう仕方がないだろう。

それを否定する者も多くいるだろうが、気にせずこれからも別の手を考えていきたい。ふてぶてしくもそう思う。

自分の人生は、自分にしか生きられないのだ、いやでも。

とは言え、根本的な解決とやらがなんであるのか。 じっくりと向き合っていかなければならない。依然として今後の課題である。

私にとって生活する場所を変えるという方法が自力救済であったことには変わりないわけであるが、

それに変わるいい方法が見つかるまでとにかく動いていたいと思う。少しずつでも、見る景色や角度が違えば、考え方も変わり新しい発見もできるだろうから。

『日本から出ていけば、あるいはなんとかなると思っていた』

とタイトルに記したが、なんとかなった部分は確かにあったのだ。

次はどこへ行こうか。

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