見出し画像

自分軸の作り方#7~【不登校】朝、パニックで動けなくなる息子。聴覚や触覚が過敏な子への寄り添い方・前編~

 次男は、いろんなことに敏感だ。肌触りの悪い衣類は着ることができない。選びに選んだ服は、大きめを買っていてもワンシーズン着て、次のシーズンにはゴワゴワになっているから、もう無理だ。嗅覚も鋭く、ずいぶん遠くの屋台から流れるネギの匂いを嗅ぎつける。聴覚も過敏で、教室のザワツキ、女子のおしゃべりの声、和楽器の金属音などが、とても苦手である。

 そして、同級生に蹴られた、とか、無視された、馬鹿にされた、と言うような、辛かったことを鮮烈に記憶しやすい。幼い頃から時々、数年前のことを急に、今起きている出来事のように思い出して怒ったり、思い出し泣きをする。学校の出来事はほぼ話さない。たまに嫌だった出来事を言うけれど、こちらの質問には答えない。私は、次男がなんとか前向きになり、楽しい学校生活を送れないものかとずっと考えていた。

 次男がネガティブなことを言うと、私はすかさず「でも、こんな(ポジティブな)考え方もあるよね?」「楽しいことを数える癖をつけるといいよ!」と、修正するような正論を伝えていた。この子の考え方や乱暴な言葉遣いを、直そう直そうとしていた。

 なので次男は、「気持ちをお母さんにわかってもらえた」という体験が乏しかったのではないかと思っている。

 朝、登校前になると「嫌だ、嫌だ」と頭を抱え動かなくなり、話しかけても返事をしないことが低学年の頃から時々あった。東京に転居するまで私は仕事をしていたので、忙しい朝にその姿を見るとムカッとし「何が嫌なの!言葉にしてよ!」「そう言えば学校を休めると思ってるの?」と怒って、無理やり靴を履かせ、腕を引っ張り学校まで連れて行ったことも、登校途中で逃げられたことも、先生に迎えにきてもらったこともある。「この子は何でこんなに私を困らせるんだろう。」そんなふうに思っていた。

 東京に転居して2年。次男が小5になる頃、長男が登校できなくり、次男も登校をしぶり出した。2人も家にいられたら大変!と思って最初は強めに説得して登校させていたが、やっぱりこの子も自信の水不足だと観念した。


 次男にもコンプリメント(#3参照)の言葉がけをはじめて「黙って観察・共感」しはじめ、次男の苦しみの原因が何か、理解したいと本気で思い始めた。いろんな本を調べてわかってきたことがたくさんあった。

 時々訪れる「嫌だ嫌だ」は、どうやら「フラッシュバック」という現象だとわかった。次男が苦しんでいる気持ちを理解するヒントをくれた本がこれだ。

”発達障害妻と脳梗塞夫の愛と笑いと涙の実話!
41歳で脳梗塞で倒れたものの、懸命なリハビリの末に見事現場復帰したルポライターの鈴木大介さん。鈴木さんが高次脳障害を受容するまでの行程を描いた記事は大反響を呼びました。 そんな鈴木さんの闘病生活を支えた「お妻様」。鈴木さんと「家事力ゼロな大人の発達障害さん」だった「お妻様」が悪戦苦闘しつつ、「超動けるお妻様」になるまでの笑いあり、涙ありの日々をお届けします。”→(表紙の見開きに書いてあった説明文。)

 発達障害である妻の、マイペースで不可思議な一挙一動にイライラしていた著者だが、自分が脳機能障害当事者になって、その苦しみが理解できるようになり、妻への感謝の気持ちで接するようになっていく。そうしたら、妻は、少しずつ家事ができる妻に変化していく。この著者と妻の、お互いへの寄り添い方が、その後の私の行動に決定的な変化をもたらした。

 著者が脳梗塞を患い、リハビリを終えて帰宅後に後遺症で苦しんだのが「マイナス感情への拘泥(こだわり)」だ。発症前は̠、不快なことは積極的に考えないようにして、気持ちを切り替えることができたが、脳梗塞後には嫌な出来事や嫌な人の記憶を、拭い去ることができなくなったという。

マイナス感情に囚われてパニックになりハアハアしていた時に、妻が「今日はザワチンなの?」とそっと背中を撫でてくれることが、その苦しさから逃れるただ一つの方法だった、という記述を読んだときに、

私は号泣した。

 この子が苦しんでいる時に、私はなんてことをしていたんだろう。

 この本を参考に、次男が頭をかかえて動けなくなる状態を「ザワザワ」と名付けた。
「ザワザワがまた来たのね。大丈夫、大丈夫」と少しの間体をさすり、そっとしておくと10分もすれば落ち着くことがわかった。

理由がわかっていなかった私は、「何が嫌なの!」とわーわー騒いで、嫌な感情・怖い思いを強化していた。必要なのは、少しの待つ時間と、安心感だったんだ。

 なぜ体がすくんでしまうのか、学校が怖い、嫌だ嫌だと頭をかかえている時の心の状態を本人が言葉にしてくれたのは、コンプリメントの言葉がけを開始して半年ほど後の事だ。「嫌だ」の思いや、急に思い出される過去の辛く苦しい思い出でいっぱいになった頭の中を、膨らんだ風船の空気を抜くように、プシューッと抜いているという。(この表現は本人がこの言葉通りに語ったのではなく、やりとりをした結果、本人の言いたいはこういうことだ、と、2人でまとめた表現です。)そんな時は話しかけられても、返事ができないのだという。

 次男のガス抜きの大事な作業中に、私は鬼の形相で説得して、恐怖心に拍車をかけていた…。猛反省して次男に謝った。そして、苦しい状態をわかるように言葉にしてくれたことをコンプリメントした。

 その半年後には、嫌な事が急に思い出されてしまう自分の脳内メカニズムを、図に表して説明してくれた。さらに理解が深まったので、感動の思いを伝えた。

将来は脳科学に貢献できる可能性がある!と、本気で思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?