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自分軸の作り方#76「自己肯定感を上げなければならない」わけではない。


幸せになりたい。
自己肯定感を高めたい。
だって自己肯定感が低いと、幸せになれないから・・・


最近、こんなふうに「自己肯定感」が「幸せへのチケット」みたいに
思い違いを生みやすいかもしれない、と感じている。

「自己○○感」という言葉は世の中にたくさんある。
最初は「~でなければならない」という苦しい状態から抜け出すために
編み出された技に名前がついたのでしょう。
本質から逸れてしまうと、こんどはそれに縛られてしまう現象が
おこるのだと思う。

noteでの私のテーマ「自分軸」を打ち立てるためには
自己肯定感を上げることが大事だと考えている。

そこで
「自己肯定感」とか「自分軸」という、誤解されやすい言葉を
もっとわかりやすい言葉で表現できないものかと
ここしばらく、考えていた。

人間と言うものは、
いとも簡単に「~でなければならない」に
陥りやすい生き物だと思う。

自己肯定感=幸せの絶対条件ではない。

「自分軸で生きる」というと
他人のことを考えないでわがままになってもいい、と
捉える人もいるだろう。
けど、私がタイトルにしている「自分軸」って何かというと

ダメダメな自分も、「自分の一部」として
ダメダメ具合が愛おしく思える、ってことなのだ。
それが、自己肯定感だ。



ここで「他人軸」だったころの 私のエピソードをひとつ。

二十代の前半に、人生がうまく行っているように見えた時期があった。
嬉しさのあまり、私はうまくいっていることを
久しぶりに会った高校時代の友達に話した。

そしたら友達から、

「なんだ、何の話かと思ったら ただの自慢話か」と
ため息をつかれたのだ。

ガガーン。

私が喜んでいることを、喜んでくれない友達がいる。
しかも、結構周りに影響力のある子だ。

言わなければよかった、と後悔した。
言い方がまずかったかな、
どう言えばよかったんだろう。
他の友達にも「自慢話してた」って言われるかなあ・・・
やだなあ・・・

でも、あの子もあんな言い方しなくてもいいよね?
ひどくない?
自分がうまくいっていないから、そんな言い方したんじゃない?


なんて、ムクムクと湧いて出てくる、なんともいえない
モヤっとした気持ち。

彼女の言葉ひとつで、こんな風に不安になったり
彼女が悪い、と責めるところまで行ってしまう。
自分を守ることに必死の防衛反応で、ガッチガチだった。

当時は、そんな私がいた。
自分のことが大好きなのに、他人の意見でグラグラ動く。
この状態が、「他人軸」と思っている。

たとえば彼氏に言われた一言で
友達や子供に言われた一言で
相手の態度ひとつで
うきうき気分が台無しになる。

そんな浮き沈みがあっても、
それはそれで かわいいな~と思うのだけれど
他人軸に寄りすぎていると、
やっぱり自分が苦しくなるんじゃないかな。


「彼氏軸」「友達軸」「子ども軸」「自分軸」
軸足がどっちにあるかで、
相手の言葉や態度に対する 自分の気持ちの揺れ動き具合が変わる。


だから自己肯定感を上げて、
自分軸で生きたいと思うんだ。



「自己愛や自己満足と どうちがうの?」と聞かれると
なんて表現したらいいんだろう。


「自己肯定感」を誤解のない言葉で表現するなら・・・

ためしに検索をしてみたら、なるほどなと思える記事が見つかった。


対人関係療法専門クリニック院長の説明は、わかりやすい!!

私が言葉にしたかったことは、こういうことなんです。水島先生、ありがとうございます!

自己肯定感が高い状態であれば
自分にとって嫌なことを言われて動揺したとしても

「きっと、この人にはこう言わざるを得ない理由があるのね」と
俯瞰して、相手を思いやる心が持てるんだ。


「自己肯定感を上げる」は
幸せの絶対条件ではなく
人の言動で くよくよしがちな自分を
ちょっと楽にするための 方法のひとつだ。

水島広子先生(対人関係療法専門クリニック院長)は言う。

自己肯定感は“幸せになるため”のものではなく“生きやすくなるため”のものです。なのに今、ちまたにあふれている自己肯定感は逆に「こうでなければいけない、幸せになれない」と皆さんを苦しめてしまっている。そもそも、自己肯定感は空気のようなものです。当たり前に存在しているからこそ、その恩恵に普段は気づけないけれど、空気が足りなくなると様々な問題が起きてくる。たくさんあれば深呼吸もできるけど、なければどんどん息苦しくなっていく、それが自己肯定感なんです。

~「自己肯定感」を上げる訓練は
他人をリスペクトすること~

他人へのリスペクトの習慣をつけることが、
結果的に自分にも跳ね返ってくる。

コンプリメントの姿勢は、まさにこれだ。
子どものよさを見つけることに集中すると、
不思議なことに 自分の良さにも気づきやすくなる。


いろいろ考えた結果
私にとっての「自己肯定感」は

①「~でなければならない」を手放せること

②自分のことも、相手のことも
「直そうとしないで、わかろうとする」という生き方。

というところに、現時点では着地した。

まだ考え中なので、なにか閃いたらまた記事にしたいと思う。


過去記事に、自己肯定感にまつわる その時々の思いを
書き起こしていますので、
よかったらお読みください。


それにしても
一つの熟語で表現すると、やっぱりそこには認識のズレが生じやすいなあ。

アドラー心理学の「嫌われる勇気」みたいにね。


タルイタケシ様
今回も記事をお借りしてます。ありがとうございます。
どうぞご了承ください🙇






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