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自分軸の作り方#14~【不登校】動きたくても動けない⁈ナゾの朝を解明する②~

 学校に行こうとして立ちすくむ時に、子供たちの体内で起こっている現象は、スピーチ恐怖症の人が人前に立たされて恐怖に襲われるのに似ている。意図的にそう感じようとしているのではなく、置かれた環境の中の「合図」によって、無髄の神経回路にスィッチを入れてしまうのだ。

 「ポリヴェーガル理論入門」によると、人がどうやって安全か否かを判断しているか、使われる神経回路は厳密にはわかっていないが、側頭葉を含む高次の脳を使っているのではないか、と考えられている。

側頭葉の働きは
表情、声の韻律、手や頭のジェスチャーなどを含む身体の働きの意図を判断する。赤ちゃんを、落ち着かせるのにはお母さんの韻律に富んだ声が大切だ。

 自閉症の子供がよく父親を怖がるが、その理由として、父親の声が、低周波の音であることがあげられる。それは、進化の過程で、低周波の音と捕食動物を結びつける神経回路が形成されているからだ。
そのように、臨床的問題を抱える人たちは、何かに対し、「危険である」という合図を誤って解釈し反応していることが多い。


 ポリヴェーガル理論の中で「自閉症とトラウマの共通点は何か?」という項目があり、そこに聴覚過敏についての説明が書かれていた。
 「自分軸の作り方 #9・10」にも記載しているとおり、次男は聴覚過敏である。

「トラウマを持つ人を注意深く観察し、話を聞いてみると、彼らは人が多いところに行くのを嫌がります。なぜならうるさいと感じるからです。また、騒音の中で人の声を聞き取ることが、とても難しいと感じています。自閉症の人も同じことを言っています。自閉症を持つ人は、音に対して過敏であるにもかかわらず、人の声を抽出し、理解することに関しては困難を抱えているという聴覚的パラドクスに悩まされてきました」(p57)

 表情豊かに、声に抑揚をつけて話している時、ニコニコしながら話している人を見つめる時、その人は中耳の筋肉を収縮させている。そうすれば雑音の中でも人間の声を聞き分けることができる。
社会交流システムを発達させてきた進化の過程で、人は捕食動物と関連づけられてきた低周波数の音を聞き分ける能力を抑制してきた。

 聴覚過敏の子供は、社会交流システムがうまく働かない代わりに、捕食動物の出す音を聞き分けるという。例えば治安の悪い危険な町を歩く時に背後から迫ってくる人がいないかどうか、耳を澄ませているような状態なので、人間の声を聞いて理解することが難しいのだという。

 たしかに次男は小学校の時、グループ内で話し合う時などに、誰が何を言っているかわからなくなることがある、と言っていた。授業参観日に、このことについて隣の人と話し合いましょう。という時間にも、話し合っていないことがあったのだが、こういうことだったのか…と納得できた。

 長男については、聴覚過敏がないので、何が合図になっていたのか原因はわからない。視覚から入る情報に過敏な面はあると思う。また長男は、小5で塾を辞めた時から、一生懸命勉強して成績を競うことを、極端に嫌っていた。教師に点数で評価され、順番を決められることに対する拒否反応が強い。(#11 〜嫌われるのが怖い・を科学する〜の集団内地位チェック回路の説明を参照してください)そして、観察力が鋭く、人の表情を読むことに長けている。学校からの帰宅後はヘトヘトに疲れていることが多い。
 心身の疲労が重なると、何かの合図を受け取りシャットダウンするのだろう。
 その原因は、本人に聞いてもわからないので、追求することはやめて、私は私にできることをしよう。

 恐怖のスィッチが入って登校できなくなっている子供に、この世の中が安全な場所であること感じてもらうには、理論で説明しても、伝わらない。
 まずは、家の中を安全で満たしていくことが大切だ。

泣いている赤ちゃんを落ち着かせる時と同じように、

親の穏やかな表情、声色、あたたかい言葉がけ、スキンシップを繰り返していくうちに、

子供の中の恐怖の回路が
少しずつ、少しずつ、安心感で覆われ、人とかかわる心地よさを感じられるようになり、ゆっくりと社会交流システムが回復してくるのだ、と
 コンプリメントに取り組んで、子供が登校するようになった今、実感をもって言える。

 自信の水を溜める ということの意味が、裏付けられたと感じている。

 そして、息子たちは今日も学校に向かう。
学校で起こる出来事や経験が、彼らに苦労をもたらすこともある。

でも、苦労して得られるものは、すごく大きい。
「あの大変な出来事を乗り越えた」という経験を、手に入れることができるからだ。

 学校に行き始めてからも、何度も何度も、子供たちには揺り戻しがあり、癇癪を起こし、親に八つ当たりし、壁を殴った。制服をカッターで切り裂いたこともある。
 そうやって感情を爆発させて、それを親に許され、何をしても絶対に受け止めてもらえるという経験を繰り返しながら、
彼らは自分自身で、自信の水を入れることを覚えていくのだと思う。

 幼い頃に駄々をこねそびれた息子たちを見ていると、幼少期に駄々をこねてくれたほうが、すごく楽だったろうな・・・とも思うけれど、これは、親子が成長するために必要な儀式だと受け止めている。不機嫌の大波が来たら「おっ?来たな、大波!」と、サーフィン気分で乗り越えに行く。私も逞しくなった!(自画自賛)そして、大波は徐々に小波になり、頻度も減っている。

学校の中にはパワハラ・モラハラのひどい先生も、いた。
意地悪なクラスメイトもいた。
でも、子供に自信の水が溜まったら、それでも登校はできるようになった。

 中3の長男は今年、高校受験を乗り越えた。
自分の意思で行きたい高校を決めて、担任に高校への推薦状を依頼し、校長先生に自己アピールをして、スピーチの素晴らしさを絶賛してもらえて、すごく自信がついたように思う。

中1の次男は、小学校時代は運動が苦手で、音楽も図工も嫌がり授業を避けていたが、今は全科目の授業を受けている。
次男は触覚過敏もあり、中学の制服が着られるのか心配し、私服の中学の説明会を見に行ったりもしたが、
彼はいくつか見学した中から、校風が気にいった、と言い、制服のある中学を選び、受験を乗り越え、毎日電車で通学している。(ただし制服やジャージの、肌に直接触れる部分には、肌触りの良い生地を縫い付けている)今は休みの日に友達と遊ぶ約束をしてくるまでに、社会性を身につけてきた。

 人間は社会交流システムを持つ生き物だ。

 不登校という時期を過ごしたのは、例えて言うなら、胃炎を起こして辛い胃袋を労るために、
すこしの期間、絶食して胃を休め、
柔らかくあったかーいお粥から始めて、
もとの、ステーキとかトンカツを食べられる食生活に戻っていくような感じかな、と思う。

 社会交流システムがもともと備わっているのだから、そのシステムが機能して、社会生活に戻れるように、
そっと見守って自信の水を溜めることが、親としてできる 数少ないことなんじゃないかな、と思っている。


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