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自分軸の作り方#126 何度も壊れながら、生きていく。


人は自分にしかわからない
苦しさを抱くことがあると思っています。

私は子どもが不登校になった時もそうでしたが

二十代半ば
結婚の約束をしていた 遠距離恋愛中の相手が
多量に薬を飲んで病院に運ばれたことがあり

自分がバラバラにされるような絶望感を味わいました。

人生の壁にぶつかる時。

それまでの人生が全否定されるような経験をすることもあると思います。

それまで自分が持っていた当たり前なこと
自信のようなものが 壊れていく。

引き裂かれるような気持ちです。

そこには、怒りや哀しみが伴いました。

やさしかった彼は病院に運ばれた後
別人のように感じられました。
攻撃的で
投げやりで。


二十代の私は
仕事こそ続けていましたが
しばらくはうつろな日々でした。

気持ち的には起き上がることも難しく

起き上がれるようになってからも
散らばってる自分を
ボロボロ泣きながら 
かき集めるような時間を過ごしていました。

壊れた自分を
泣きながら 寄せ集めて

新しい自分として
もう一度立ち上がる。


よく考えると
自然界は その繰り返しです。


古いものが壊れて
新しいものが生まれる。

そして生き物は自然界に順応して
生きていくしかない。

#124で「感情の井戸」について書きながら
私は キューブラーロスの
「死の受容 五段階」を思い出していました。


「死ぬ瞬間」の著者、キューブラー・ロスは
死を目前にした人がたどるステップを
5段階で表しています。

第一段階=否認
   自分が死ぬということは嘘ではないかと疑う段階
第二段階=怒り
   なぜ、自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階
第三段階=取引
   何とか死なずにすむように取引をしようと試みる段階、何かにすがろうという心理状態。
第四段階=抑うつ
   何にもできなくなる段階
第五段階=受容
   最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。
「wiikipedia」より引用


人生って
過去の自分に死に
新しく生まれることを繰り返しているのかもしれません。

死には、怒りと哀しみがついて来ます。
そして死を受け止め、
死と共に生きる段階に進む。

受け止めるまで必要な時間は、
人それぞれだと思いますが


わたしは子供の不登校や
大好きな人の自死未遂という現実の前で

怒り、
もがき、
すがり、
哀しみました。

そして徐々に受け入れられる時が来ました。


その怒りや哀しみのトンネルから
抜け出す方法はないかと もがいた時期が、
すごくすごく辛かった。


そして、今。
他のママたちが哀しんでいる姿を見ると



「そんなに哀しまないで」

という思いが湧いて来ます。

早く笑って欲しい。
早く元気になって欲しい。

1日でも
1分でも早く
幸せを 安心を、感じて欲しい。


それは私が、
早く解放されたかったからに他なりません。


けれど、怒りや哀しみが
ちゃんと意識に上がってきて、

そのあと順番に
喜び楽しみがくるものだと知りました。


画像は
https://www.nippon.com/ja/features/c05003/
よりお借りしました。

「感情の井戸」
(泉谷 閑示/著「普通がいい」という病 より)
これは、ふだん感情に蓋をしている人の、
感情の模式図です。




怒り哀しみを感じることは
通るべき道だということ。


目から鱗でした。


怒り哀しみから
とにかく早く楽になることが
いいことだと思っていました。


でも実は、怒る時間と哀しむ時間が必要で

そのステップを踏むことが
後の喜び楽しみをもたらし
味わい深くするものだったんですね。

そして、壊れてバラバラになり
泣きながら寄せ集めた自分は

きっと少しだけ
器が大きくなっているんだと思います。


器の大きな人は
ステキな人だと思います。


いろんな感情を大切に
噛み締めたいと思うようになりました。

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