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自分寺

旅をするとき、安心して帰れる場所がある人と、帰る場所も何もない人の旅では全く意味が違ってきます。

何もない、若しくは帰る場所が安心できる場所ではないとなれば、行く先々で自分の居場所を求めなければならないし、我慢も必要となってきます。

根底にある不安はいつまでたっても拭えず、旅先の人々の顔色を伺うようななんとも面白くない旅になるでしょう。

自分は何かにならなければならない、どうすれば落ち着くことができるのか、どうすれば愛されることができるのか?
ということだけで旅を終えてしまうことになりかねません。

それ故に大きなリスクも背負えず、大きなリターンもない。

でも旅の途中で心から安心して居られる場所を見つけたら。
最初は疑うかもしれませんし、なんとか守ろうとするかもしれません。

それでも結果、そこが心底安心できる場所だったら。

出発の地に対しての不満も全て、消え去っていると思うんです。
この場所に出会うためにあった自分の境遇だったのか、とさえ思えます。

でもそんな場所を探して彷徨うより、手っ取り早く旅を終える方法があるんです。
それは自分がそんな場所になるということです。

彷徨える旅人が来たら、「ここで少し休んでいくもよし、ずっと住み着いても構わないよ」と伝えられるような人物になることです。


ワタクシ自身は、安心して帰れる場所を持たない旅人であったと思ってますがまた、最適な居場所を求めて動き回る自由も殆どありませんでした。

その自由が出来たらまた旅に出るのか、と自分に問いかけました。
でも当然答えはNoです。

何故なら、自分がそんな場所になることが何よりも近道だし、実は理想だったんです。

何度も、自分は理想に近づけたのか?という疑問が、現実を通して問いかけてきます。
少しづつですが自分は変容していると思えます。

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