私~真我

自分というのはどこからどこまでなのか。

もしアナタに皮膚感覚と視覚がなければ、自分の体の範囲というのはどこまでなのか分からないでしょう。

足の裏にも手のひらにも体のどこにも感覚がない、風に吹かれても何も感じない、としたら。
自分の大きさはどのくらいか分かるでしょうか?
2メートルの身長で120キロあるかもしれないし、150センチで40キロかもしれません。

まだ嗅覚と聴覚が残っているので、おおよそで感じ取ることが出来るかもしれません。

また前回の続きになりますが、もしそれらも、全て無いとしたら。

「意識の範囲」がアナタが唯一感じ取れる「自分」ということになります。
さぁ想像してみてください。
あれあれあれ~?

自由になりましたね。宇宙の果てまでも行けるし、たったの5センチだけかも。

これが「私」の正体です。

あの人も私、あの山も私。
と言うより、あの人も、あの山も、「本当の私の一部」。と考えるのが正しいかと。

あれもこれも、皆さん「本当の私」という夢の中の登場人物ということになってきます。
【これは個人が、「私はこれこれこういう人物です。」と心の中で名乗る(決定する)と、その役割を全うするために周囲が動いてくれるという事実で確認できます。
皆が別々の意識に生きていたらこんなことは起こりえません。】


普段は5感に閉じ込められているので、体を「私」と思っているだけです。
見える範囲で、聴こえる範囲で、匂う範囲で、皮膚感覚があるのが今私がいる場所で、私自身なのだと。

正確に言うと、先ほども言ったようにそれは本当の私の一部です。

私はこの体で、明確な意思をもって生きている。と普通は思いますよね。
しかしこれも全くの誤解で、実は体は単なるアルゴリズムです。

自分を守るように、種が繁殖するようにプログラムされている機械に乗り込んでいるだけにすぎません。
その性能は両親から受け継いだデザインによって決まります。


仏教やその他の宗教でも、厳しい戒律で欲を抑えるように言われているのは、五感を刺激することが「本当の私」から遠ざけることを教えているのです。

強い快楽は、自分を「体」の中に閉じ込めてしまいます。

つまり体=自分という認識を強めてしまうのです。

そのため節食や禁欲を勧めているのですが、普通に暮らしていてはこれは無理です。

いくら瞑想しても、快楽を得るたびに「自分」が戻ってくる。
美味しいものを食べるたびに「自分」が戻ってくる。

そしてもう一つ、他人と比較するたびに「自分」が戻ってくる。

体を強く認識することもそうですが、他の物と比較や分別をするたびに自分はその範囲に閉じ込められてしまいます。

Aと私は違う(BCDEFG........のどれかかもしれないし全て含むかもしれない)
いやBとも違う(CDEFG.......のどれかかもしれないし全て含むかもしれない)
という具合に比較、分別は自分を小さな檻に閉じ込めてしまいます。

これでは真我などどんどん遠くなるばかり。

ではどうするか、、


答え:どうもしない。

悟ったり真の自分を理解したところで、世界をコントロール出来たり、次々に自分に都合のいい現実がやってくるわけではありません。
これは相反することだからです。

自分に都合のいい=自我の意思です。
それよりも誰かのため、自然のためになることをほんの少しでも実際にするほうがいいです。
それは、あなたの一部だからです。
そうして広がっていくのが結局一番の悟りへの近道です。

陰徳や善行をすすめるのはそのためですね。


最近全然音楽関係ないなぁ。。

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