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15年勤めた会社に辞めたいと打ち明けるまでの話

同じ毎日の繰り返し

高校を卒業してすぐ印刷・製本の会社に就職した。

配属先は製本の工場。
印刷から上がってきたものを断裁、丁合、無線綴じ、包装して発送するまでの仕上げの行程の部署だ。

就職先を決める時、特にやりたい仕事や夢もなかったので、とにかく給料も高くなくても良いから一人で黙々と作業できる安定した職場に就ければ良いと思っていて、たまたま求人で目に止まった会社だった。

本が好きだから本をつくる会社に就職したわけでもなく、本当に適当に入った会社だった。むしろ当時まだそんなに本には興味無かった時期だ。

適当に就職し適当に作業をする毎日。

ただ指示された事だけを黙々とこなす毎日。

家から車で40分ほどの街中にある職場を往復する日々。

黙々と作業をするのは好きなのだが、あまりにも同じ毎日の繰り返しに何か違和感を覚えはじめてきた。


当然年が経つにつれ後輩を指導する立場になってくるが、僕は人と接することが苦手なので、ずっと作業だけをしていたかった。

誰に言われる事もなく、始業開始のチャイムがなる前から工場に入り、すぐに始業時間に作業できるように機械をのウォーミングアップや整備をして準備し、ほぼ無遅刻無欠勤(労災で1ヶ月以上休んだことはあるけど)で誰からみても真面目な社員だったと思うので、10年弱この職場で働いていると役職者にならないかという話が持ち上がってくる。

でも僕は万年平社員がよかった。

ずっと現場で仕事を黙々とこなしていたかった。

役職者になったら現場での仕事が減るし、参加しなければならない会議も増える。できる限り人とコミュニケーションしたくないのに。

目立つ事をしたくない。なるべく注目されないようにひっそりと暮らして来た。

毎日同じことの繰り返し。

仕事は嫌いじゃなかったけど、何か物足りない。



趣味が読書になる

僕は気軽に誘い合える友達が少ないので同じ友達とずっと遊んでいた。残業の無い日は終業後、高校からの友達とよくご飯を食べに行っていた。

ご飯を食べた後は、大体カラオケかゲームセンターかボウリングかビリヤードで遊んでいた。田舎なので遊ぶ選択枝が少なく、仕事と一緒で遊びでも同じことの繰り返しだった。

でもその友達と居ることが楽しかったので、何で遊ぶのかは関係ない。

今じゃ体力的に厳しいけど、次の日が休みの時は深夜の1時や2時まで普通に遊ぶ事もあった。若いって凄い。


社会人になって5年ぐらい経った頃だろうか。本を読む楽しさに気が付いたのは。

それまで読んで来た本は漫画ばかりで、唯一読んでいた文章だけの本といえば高校生の時にハマったライトノベルと言われるジャンルの本ぐらいだった。

ライトノベルでも歴とした小説なのだから、実はすでにその頃から文字を読む、本を読むということの楽しさに気が付いていたかも知れない。

でも高校卒業して就職してからしばらくの間、目的の漫画を買いに行く以外は、フラッと本屋さんに行くという選択枝はなかった。


本屋さんに通うようになったきっかけはあまり覚えていない。

でも漫画を買いに本屋さんには行っていたので、全く接点がなかったわけではない。漫画以外のコーナーに行かなかっただけなのだ。

社会人になって5年、何を思ったか、他のジャンルのコーナーも見るようになった。

毎日同じことの繰り返しの生活を送っている中、何か違う刺激が欲しかったのかも知れない。ちょっと背伸びしたかったのだろう。文字だけの本に手を出すのはカッコイイ大人という認識があったから。格好付けたかったのだろうか。

それとも何か物足りない毎日に刺激を与えたかったのだろうか。

人生にスパイスを。ってやつ?


漫画以外に最初に手を出したのは森見登美彦や伊坂幸太郎などベストセラー作家の小説だった。

僕は読むのが大変遅いので、一冊読むのに1ヶ月以上かけて読んでいた。

最初読むのは大変だったけど、読んだ後の満足感や高揚感は漫画とはまた違った感覚だった。


時が経つにつれ、読んでいる本が途中でも休みの日は本屋さんに足を運んで面白そうな本を探すようになった。

完読してなくても次々に気になる本を買うようになった。

こうれはもう趣味の欄に「読書」と書いても良いのではないだろうかというところまできた。ちょっぴりカッコイイ大人になったと自己満足全開だった。


新たな視点の発見

小説のコーナーだけではなく、ビジネスや心理学、自己啓発などの専門書のコーナーもよく見て回るようになった。

当初、買うのは小説ばかりで、その他の本はパラパラその場で立ち読みをしていた。知らない世界がいっぱい載っている。でも、何故だか買うのが恥ずかしかった。何でだろう。

僕は学生時代の成績は悪くて勉強できなかったので、専門書なんか読んで自分の中でいい子ぶってるんじゃないと、頭の良いフリなんかするんじゃないというストッパーがかかっていたのかも知れない。

勉強するために、知るために本を読むのだから、今考えたらおかしな話だが、当時は小説に手を出すだけで精一杯だった。小説以外は頭の良い人が買うものだと思っていた。


だが、気になるものは気になる。


何をきっかけか覚えていないが、本屋さんに通っているうちに、ある日突然ストッパーが外れた。


何か物足りない毎日に終止符を打つべく、堰を切ったように気になる本はどんなジャンルでも買いあさり始めたのだ。


ダニエル・ピンクの「モチベーション3.0」や「ハイコンセプト」、ドラッカーの「マネジメント」にジム・コリンズの「ビジョナリーカンパニー」、カーネギーの「道は開ける」と「人を動かす」やナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」、そしてスティーブン・R・コヴィーの「7つの習慣」、などなど、ビジネス書や自己啓発を代表するような本をとりあえず買って読んでいった。哲学や社会学、心理学などのジャンルも少し手を出した。


目から鱗だった。


世の中にはこんな考え方、視点があるのかと。



「一体何がしたいのか」ではなかった

いろんなジャンルの本を読み漁って行くうちに、自分の今やっている仕事のことについて、そしてこれからの人生について考えるようになった。

一体何がしたいのか?と、自分に問う時間が増えていった。


今の仕事は嫌いじゃないが、やりがいが感じられない。

モチベーションが上がらない。

もちろん誰かの役には立っているはずだけど、ずっと工場の中にこもっているので顧客からの声が全く聞こえてこないのだ。

役職者への昇格の話が出てきて、将来の自分の姿となるであろう上司を見て、このまま出世して一生この会社で働いていっても良いのかという思いが強くなってきた。

当時、自分にはやりたい事がなかった。

だから、自分は何がやりたいのだろうとずっと考えていた。

でも、違った。


「自分は一体何がしたいのか?」


「自分はどうありたいのか?」


色んな本を読んでいたら、そう考えるようになった。


学校を卒業して就職して出世して結婚して子育てして定年まで働いて老後を迎える。それが普通の人生だと思っていたのだけど、色んな本を読んで行くうちに、他にももっと生き方があるのだということを知った。

そしてその人生は自分で選択できるのだと。

そうなると、元々好奇心や探究心などある人間ではないと自分では思っているのだけど、もしかしたらもっともっとやりがいのある楽しい人生を送る事ができるのではないかと今の状況に疑いの目を向けるようになった。まだ遅くないのであれば挑戦してみたいと。

え、僕ってもしかして意外にもハングリー精神ある?

確かに遊びでゲームとかすると負けず嫌いの所は自覚しているけど、人生を大きく左右するような賭けに出る勇気や行動力なんてこれっぽっちもないと思っていた。

なんせ、これといった趣味がなく、家ではずっとテレビを見ているテレビっ子で、ずっとお笑い番組やWOWOWエキサイトマッチでボクシング見るのが趣味ぐらいか。実家暮らしだったので、家賃もかからずその浮いた分は貯金をしていた。もちろん食費は親に渡していた。

友達によく給料の使い道を聞かれて、貯金していると答えていた。「貯金するということで将来への『安心』を買っているんだよ。」なんてことを友達にずっと言ってた気がする。

何不自由ない暮らしをしていた自分が、本当にこのままで良いのか?自分はこれからどうありたいのか?と自分に問いかける時が来るとは夢にも思わなかった。


実はもうすでに答えは出ていた

今の会社で一生働くのはやめようと思ったのは、本を読んで未知の世界を知り、もっと輝かしい未来が待っているはずだ!と考えたわけではないです、実は。

前回のnote『僕が旅に出る理由』で書いたように、この時期にはすでにやりたい事が見つかりつつあった。

詳しくはこちらのnoteをお読み下さい。


つまり、理由は至ってシンプルで、自分で選択できる人生を送りたい。

自分らしくいられる場所を自分でゼロから作りたい。


それは、好きな本に囲まれた好きな雰囲気のカフェをやりたい。


「だから、会社辞めます。」だ。


本はきっかけに過ぎなかった。


まさか自分がカフェを開業したいと思う日がくるなんて、誰も予想していなかっただろう。会社の人たちどころか、家族も友達も。もちろん僕自身も。

だから、当初カフェをやりたいなんて周りに言っていなかったし、自分でも自分を疑いの目で見ていたので、自分の気持ちを押し殺していたのかもしれない。

なんとなく、このまま会社にいてはダメだ。他にも何か違う道があるはずだ。と漠然と思っていたが、カフェをやりたという自分は強制的に揉み消していた。引っ込み思案で目立ちたくない僕だからだ自分を信じたくなかったのだろう。

本がそう言っているのだから仕方ないだろうと、本のせいにしていた。


それから数年が過ぎた。


僕の働いていた会社は、ボーナス前や年度末の節目節目に直属の上司とさらに会社のお偉いさんと面談があった。

その面談では社員の評価やボーナスの支給額、来年の昇給額を発表されたり、その他に何か悩みや相談がないか話を聞いてくれる時間でもあった。

そこでずっと役職者にならないかと言われていた。もう10年以上同じ部署で働いていており、平社員としは一番高い評価をもらっていた。逆に言えば、これ以上もう大幅に給料は上がらないよと言われていた。役職者にならない限りは。

僕は「いや、まだ大丈夫です。まだ自信がありません。僕なんてまだまだです。」とはぶらかし続けていた。

そんな面談が何回も続いたそんなある日、とうとう確信に突かれることを聞かれた。


課長「お前、他に何かやりたい事でもあるんか?」


ついにこの日が来たか!


本音では、実は聞いて欲しかったのかもしれない。


もう心の中では決まっている。いや、決まっていた。


僕「実は・・・」


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