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米粉の焼き菓子屋になった、女の話。

こんにちは、初めましての方も、Twitterや Instagramを見てくださっている方も、
改めまして、米粉の焼き菓子屋Arti《アルティ》オーナー
小野坂桂子(おのざかけいこ)です。

いつもTwitterでたらたら呟いていたことや、いろいろなことに対して考えていることをまとめたいと思い、noteをはじめてみました。

まずは米粉の焼き菓子屋になった、私の経緯を。

生まれは新潟県小千谷市
山に囲まれた田舎です

洋菓子をよく食べる家ではなかったですが、小さいころからなぜかパティシエに憧れ
進学を考えたときに農業高校の食品科学科に入りました
米や野菜を育てたり、鶏を卵から育てて屠殺して料理したり、発酵を学んで食品製造・販売をしたり。
授業で《米余り》の問題を知り、米の消費拡大の希望として出てきたのが《米粉》でした。

私が米粉に出会った瞬間です。

当時は“グルテンフリー”は全く流行っておらず、強いて言えば“アレルギー対策”
そこから《米粉で地域を活性化》という題目で農業プロジェクトに取り組み、米の成分、扱いについて研究、米粉の焼き菓子を作り続けました。
これが高校三年生の時です。

高校卒業後、上京して製菓学校に。
菓子の基礎を学び、夢だった都内パティスリーに就職。
労働環境でパティシエを挫折してバーテンダー、かき氷屋、カフェ&クレープに…

そしてカフェがコロナの波にのまれて閉店が決定。

どうしようかなーって悩んだ時に
お菓子は作りたいけど、“あの場所に戻りたくないな”って思ったんです。
パティスリーで工場の1レーンのようになって働くのはかなりのトラウマになっていて、今はいい環境のお店も増えてきたけど、わかってはいるけれど

だから、自分でとりあえずやってみようって。
どこからでた自信かはわからないけど、独立だけは決めてたんです。
25歳、早くも遅くもいずれ菓子だけで生きていきたかったから。
けどカフェの閉店で営業の厳しさを知った私には飲食店の難しさをもろに感じ、踏み出すもう一歩が足りませんでした。

その時に“シンをみつけろ”ってその時の社長に言われました。

エ、“シン”ってなにって
漢字で書くとどれよ、くらいの感じ。
芯?真?心?むしろ神?????

シンってなに!!!!!!が一時期の口癖でした。笑

正直パティシエは目指してたけど、米粉の焼き菓子屋になろうとは最初思ってなかったんです。
今こそ専門店が増えてきたけど、とんがるのって怖いですよね、なんか。

でも、米粉の焼き菓子なら得意だなって
また米粉の焼き菓子作りたいなって、
今なら高校生のときよりもっと美味しくて可愛い米粉の焼き菓子作れるかもって
というか絶対作れる

そこで決心がついて、タイミングよく同級生でもあるmacaroiオーナーのkatsueがシェアキッチンロワをオープン
独立、そして《米粉の焼き菓子屋Arti》の始まり


私は、“米粉の焼き菓子屋”になったわけです。

米粉の焼き菓子屋になった、女の話。

そして今年の4月で米粉の焼き菓子Artiは1歳になりました。

これからちょっとずつ、米粉の焼き菓子の話、独立とか、マルシェ話とか、卸しのはなしとかできたらいいなと思います。

どうぞよろしくお願いします。

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