<ギネス記録>アメリカの運転免許試験
以前、こちらの記事の中で、ドライビングスクールを受講した時のことを書いた。
あれから半年、ジョイ・ドライビングスクールで学んだ独特すぎる運転哲学を胸に、僕は車で色々な場所に行った。
毎日の会社の往復はもちろん、役員を乗せてGafaツアーや、乱暴車が行き交う複雑なサンフランシスコの街道、果てはサンフランシスコから650キロも離れたロサンゼルスまで(東京から岡山までの距離!)を一人で運転したこともある。
日本と違って5車線もある広い道、雲一つない空に燦然(さんぜん)と輝く太陽、空いていれば裕に100キロ以上も出せるハイウェイ。
爽快な音楽をかけながらハンドルを握る毎日で、だいぶ運転も慣れてもきた。
免許試験も、大丈夫だろう。
カリフォルニア州の名門・ジョイ・ドライビングスクールの卒業生(2時間講習受けただけ)として、僕は自信を持って運転試験に臨んだが……
ことの起こり
どうも。
タイトルの通り、今日は僕が米国カリフォルニア州で免許試験に4回落ちた話をしようと思う。
ことの起こりは、遡ること3ヶ月前の9月。
何とはなしに上司に「身分証明のIDがパスポートしかないと何かと不便なので、運転免許を取ろうと考えてます」と言ったところ、上司から「え?逆にまだとっていなかったことが驚きなんだけど?」と言われ、カリフォルニア州の規定について書かれたWebサイトが送られてきた。
いわく、
驚いた。
国際免許じゃダメなの?
どうやら、短期的に旅行とかで来た場合には国際免許証を持っていれば良いらしいが、同州に居住しているドライバーは、必ず免許を持っている必要があるとのこと。
ということはこの半年間、ぼくは…
ということになってしまっていたのか?
まずい。
しかも、10日以内に取れって…。
もう半年も経ってしまった。
でも、冷静に考えると、そもそも筆記試験の申し込みから受験までで、どんなに急いでも10日はかかる。
そこから実技試験の予約は早くて2週間後とかだ。
最速でも1ヶ月はかかるだろう。
10日っていう規定はあまりに無茶だ。
でも、ルールはルール。
とにかく一刻も早く取らねばならない。
かくして、9月から僕の米国カリフォルニア州運転免許取得プロジェクトが始動した。
筆記試験
アメリカでは、州ごとに免許制度も試験も異なる。
僕のいるカリフォルニアでは、筆記試験と実技試験の二段階となっている。
筆記試験は36問出題されて、7問以上間違えるとアウト。
例えば、こんな問題が出る。みんなも答えを考えてみてほしい。
どうだろう?
そこまで難しくはないが、多少はちゃんと勉強しないと受からない。
一応、答えを言っておくと、
問31:2ポチ目(0.08%)
問32:2ポチ目(緑の矢印に変わるまで〜)
問33:2ポチ目(右の車線に変わる時は右肩越しに〜)
問34:2ポチ目(車全体の通常で正当な流れを〜)
問35:2ポチ目(定時カードをつけている〜)
ということで全部2ポチが正解(これはたまたま)。
問31はちょっと驚きではないだろうか。アメリカの飲酒運転の基準は随分と緩いのだ。体質などにもよるのだろうが、1〜2杯飲んだ程度では、基本的には問題ないとされている。日本なら1杯でもアウトなので、これは車社会ならでは、そして米人の対酒体質ならではのルールだろう。
また、問34もアメリカならではだ。遅すぎる運転は交通違反であり、罰金。日本の感覚だと、55マイル(88キロ)が果たして遅いのか、65マイル(約105キロ)が早すぎるだけなのではないか、と疑問に思うかもしれないが、確かに米国でハイウェイを55マイルで運転というのは実際かなり遅く感じる。だいたいみんな、65マイルどころか80マイル(140キロ)くらい出しているからだ。
まぁ、こんな感じの問題を36問。
無策で臨んだら受からないが、難しくはない。
勉強だけが取り柄の自分としてはなんのことはなく、1時間も勉強すれば、もちろん余裕の満点合格だ。
順調な滑り出しを見せて、いざ実技試験へ臨む。
実技試験
実技試験は、隣に試験官が乗って、その指示に従って実際の道を運転する。
乗りながら試験官が点数をつけていき、「重大なミス」は一発アウト、「細かいミス」は15回まで大丈夫、というものだ。
事前に先輩からは、試験官によって当たり外れが激しい、と聞いていた。
僕が受験したのは、シリコンバレー界隈では最難関のコースで、試験官も厳しいことで知られるサンマテオの試験場。
ドキドキしながら待っていると、やってきたのは日本ではあまり見かけないような、だいぶ大柄な方。
それは全然いいが、問題は、見るからに不機嫌な顔をしていることだ。
不安が募る。
いや、人は見た目にはよらない。案外と、公正な判断をしてくれるだろう。
乗り込もうとして、体が入り切れず、助手席の座席を一番後ろまで引く。
座ると、車がギィっと悲鳴を上げて、少し傾く。
なんという巨漢。
車は少し心配だが、まぁ問題ないだろう。やさしくて公正な判断をしてくれればそれでいい。
そう思って、車をパーキングからドライブモードに切り替える。
「右に出て、しばらくまっすぐ」
試験官の指示に従って車を進める。
交差点が見える。指示がないから「右へ曲がりますか?」と聞く。
瞬間、「私が指示するから、しゃべらないで。そこ、右へ曲がって」とピシャリ。
えぇ…。
とりあえず、右へ曲がる。
すると、
「次も、右に曲がって」
ん?次も右?
いぶかりながら右へ曲がる。
「そこから入って、スタート地点に戻って」
あまりに早すぎる。
これでは試験場付近をぐるっと一周しただけだ。
いぶかりながら、車を停止させると、
「自分の運転についてどう思った?」と聞かれた。
「大きなミスはなかったと思う。うん、自分ではいい感じだと思った」
「そう。それなら残念だけど、あなたは重大なミスを犯した」
重大なミス?
そんなミスをするほどの時間もなかったはずだ。
「あなたは制限速度よりも遅過ぎた。この道の速度制限は25マイルだったけど、あなたはずっと、20マイルを下回るスピードで走っていた。外の天気はこんなにも快適なのに、この車の中だけが不快だったわ」
マジか。
あの、筆記試験でも出てきた遅過ぎてアウトパターンに自分はハマったというのか。
信じられない気持ちだが、25マイルを超えないようかなり慎重に運転をしてしまったのは事実。
「Fail(落第)」と乱暴に殴り書かれた採点シートを受け取って、僕はしばし車の中で動けなかった。
2回目
2週間後。
気を取り直して、2回目の実技試験。
サンマテオが厳しすぎると見た僕は、ロスガトスの試験場で2回目を受けることにした(試験場は同州の中で自由に選べるのだ)。
ロスガトスは、道が広くて試験官もゆるいと評判。
少し遠いが、一刻も早く受かるためには仕方ない。
どんな試験官が来るか。いい人だといいな…。
祈りにも似た気持ちで、乗り込んできた試験官を見ると。
またも大柄。
英語なら「The」がつくほどの巨漢。
200オーバーの乗車に、僕のカローラはギィ!!と悲鳴を上げた。
でもわからない、今回は人柄はどうだ?
試験官は開口一番、
「リラックスして。素敵なドライブにしましょう」
なんと。
素敵だ。
見ると、今に鼻歌でも歌い出しそうなご機嫌なフェイスをしてやがる。
これはいけるかもしれない。
僕はハンドルを強めに握ると、車を発進した。
「そこを右」
「次を左」
「ここで脇道停車」
ご機嫌に指示を飛ばす巨漢官。
ロスガトスは道が広く、木々も多くて街並が綺麗だ。
10分ほどして、僕たちはスタート地点に戻ってきた。
「どうだった?」
微笑みをたたえて優しくたずねる試験官に、僕は親指をあげて、
「試験であることを忘れて、ドライブを楽しんじゃったよ」
と冗談混じりに答えた。
試験官は笑顔のまま、
「試験であることを忘れっちゃった。そうね、その通りかもしれない。あなたは重大なミスを犯したわ」
僕の顔からスッと笑顔が引いた。あげた親指は所在なさげにしばらく宙を漂い、やがてゆっくりと膝の上に置かれた。
「どういうことですか?」
よく見ると、女性の口元は笑っていたが、目の奥が笑っていないことに気づく。
「右折の時、バイクレーン(自転車道)があったのに気づいた?」
もちろん、認識している。
「えぇ、だからミラーも確認しましたが…」
「ええ。あなたはミラーだけを見ていた。でも右折時は目視が必須だわ」
まさかの一発アウトだったらしい。
しかも、考えてみればそれは、走り出して一番最初の右折だった。
その時点でもう失格だったというのか。
どうやらこの試験官は、警察だとしたらしばらく犯人を泳がせるタイプのようだ。
上げてからの落とし。
期待感が高かった分、悔しさがじわじわと効いてくる。
待ち時間混みで約2時間が無駄になったことを知り、帰りの道中、自分が仏教徒であることを忘れて試験官への恨み呪いでおかしくなりそうになりながら、なんとか帰路についた。
3回目
日本には三度目の正直という諺がある。
あの小室圭さんも、同じ米国で弁護士試験を2回落ちた。そして3回目にして、栄光を勝ち取っている。
僕も負けていられない。
しかし、結論から言うと、今回は「2度あることは3度ある」の方だったようだ。
その腹立たしき3回目を受ける頃には、もう夏が終わって紅葉が街を彩り始めていた。
再びのロスガトス。
強そうな名前の割に、ゆるゆるガバガバで有名なロスガトス。
リベンジマッチの相手を務めるは、もちろん、あの巨漢だ。
カローラよ。
あと一回だけ、200キロの重石を君の肩に乗せてもいいだろうか。
心の中で愛車に呼びかけて、試験官を乗せる。
印象が大事だということで、車には芳香剤をつけて、最初から試験官の方が座れるよう助手席のシートを一番後ろまで下げておいた。
ドアを開けて「どうぞ」と試験官を招き入れる。
さぁ、デスマッチの始まりだ。
今回は事前に試験場の周辺を2時間もかけてたっぷりと練習し、標識や制限速度の確認、右折時の巻き込み確認の目視などを徹底的に反復した。
目を瞑っても走れそうなほどの自信を持って、車を発信する。
10分。
細かいミスを除けば、重大なミスはなかったと確信した。
例によって、
「どうだった?」
と聞いてくる試験官に、堂々と言い放つ。
「今回はほとんど完璧だったと思う。唯一残念なのが、天気が曇っていたことくらいかな」
「そうね。重大なミスはひとつもなかったわ」
希望が確信に変わった。
重大なミスが一つもない、ということは細かいミスだけだったということだ。
細かいミスは、15個まで大丈夫。
今までの2回では、平均で5つほどだったから、まず間違い無いと思っていいだろう。
「だけど、細かいミスがちょっと多いわね。数えてみるわ」
ワン、ツー、スリー…
陽気に数え上げる。
…ナイン、テン…
ん?
おいおい、いつまで数えているつもりだ?
…サーティーン、フォーティーン…
ちょ待てよ。
ここで思わずキムタクが出る。
止まらないカウントに、思わず採点シートを覗き込んだ。
指が太過ぎて数え間違ってしまっているのではないかと思ったからだ。
しかし、試験官はもう一度確かめるように数えると、
「残念ね。細かいミスが18個。もう一度、筆記試験から出直しが必要のようね」
と言った。
なんと。
そう。アメリカでは、実技試験は3回目まで受けることができるが、3回目落ちると、また筆記試験から一からやり直しになるのだ。
まさかの運転免許浪人。
100年という長い歴史を誇る我が社の駐在員史上初。
ギネス級の記録がここに打ち立てられてしまった。
日本には「仏の顔も三度」という諺もある。
仏さまとは違うが、人間にしては普段、滅多に怒りを露わにしない僕もこの結果に、頭の中で何かがプツンと切れた。
ミセス巨漢に向き直ると、静かに、ミスの一つ一つに対して、具体的に、どこで、どのようにミスがあったと判断したのかを問い詰める。
巨漢は相変わらず、目の奥の笑っていない顔で、淡々と答えていく。
その一つ一つに、冷静に、そしてロジカルに反論していく。
やがて、1つのミスが取り消された。
しかし、それだけだった。
どれだけ押しても引いても、他は減点してくれない。
仏さまの教えをいただく身として、これ以上はよくないと判断した。
結局、30分の口論の末、得られたのは徒労感と、果てしない絶望だけだった。
オフィスに戻る道中、上司の言葉が脳裏をよぎる。
「免許が取れていないと、駐在は無理だからな」
そこからしばらくのことは、今でも鮮明な記憶がない。
よほどのショックに、僕の海馬は記憶に留めることを拒絶したようだった。
でもとにかく、人は生きている限り、前に進まなければならない。
次の日には筆記試験をパスし、実技試験の予約をしていた。
4回目
4回目を受験したのは11月の末日。
最初に試験を受けてからもう2ヶ月が経っていた。
長い死闘だった。
ここに終止符を打とう。
僕は再びロスガトスを捨てて、最難関と呼び名高いサンマテオの試験場にいた。
発想はこうだ。
3回落ちた末に最も簡単といわれるロスガトスで免許をとるよりは、無理してでも最難関と言われるサンマテオで取った方がマシだろう。
受験でいえば、どうせ同じ浪人するなら東大を受けよう、といった発想だ。
平日の昼休みには自主的にサンマテオの試験場の周りを運転して練習した。
何度も何度も、繰り返す。
確かな自信を得て、いざ試験へ。
巡り合わせとは面白い。
複数いるであろう試験官の中で、またも自分の担当は、1回目の女性だった。
試験に受かる前に車が壊れるのではないかと心配になりながらも、しっかりとハンドルを握って車を走らせる。
頭で考えるより体が覚えている、とはこの感覚だろうか。
危なげなく10分間の運転を終えた。
試験場に戻っていつも通り感想を聞かれる。
「これ以上良い運転はできないよ」
ニコリともせず、それだけ言う。こちとら4回目だ。なめんじゃねぞ、そんな気概に溢れていた。
試験官もまたニコリともせず、
「そうね、確かにあなたはいいドライバーだわ。でも一つだけ、重大なミスがあった」
嘘だろ?!
思わず叫びそうになった。
その反動で僕は、むしろ静かに聞いた。
「へぇ。重大なミスって?」
「一つ目の交差点の信号。青になった時に、どうしてすぐに出発しなかったの?」
「それはもちろん、右折時の巻き込み確認のためだよ」
「でもあなたは遅過ぎたわ」
「遅過ぎた?具体的には?」
「後ろに車がいた。にもかかわらず、あなたは発進まで2秒も3秒もかかっていた」
カッと頭に血が昇る。
ほとんど言いがかりに近い指摘に、
「あなたの上司を呼んできてくれ。ドライブレコーダーを確認しよう」
言ってから気づく。
ドライブレコーダー、ついてない。
しまったという顔をする僕を尻目に、女性は勝ち誇ったように、
「ドライブレコーダーなんてないわよ。もし不満があるなら、次に試験を受けるときは私じゃない試験官を指名してよくてよ」
ピシャリと言って出て行った。
ひとり車に残された僕は、放心したようにシートにもたれかかる。
やさぐれた心の行き場を失いながら、できるだけ心を無にして次の試験日の予約をした。
そしてついに
5回目。
あっけなく終わった。何のドラマも、ない。
陽気な男性の試験官で、細かいミスも3つだけ。
一言、「Good Drive!」と書かれた採点シートを見て、これまでの試験は一体何だったのだろうと思った。
ホッとすると同時に、今までの試験が走馬灯のように脳内を駆け巡る。
長い長い道のりだった。
大変だったけど、学んだこともある。
それは、「真の目的を見誤らないこと」。
ともすれば僕たちは、失敗が続くと、その失敗を乗り越えることだけに集中して、本来の目的を忘れてしまいがちだ。
今回の例で言えば、僕は最後は「免許を取ること」だけが目的になっていた。
だけど、考えてみれば、免許の有無以上に大事なことは事故を起こさないことだ。
その点、この4回の免許試験のおかげで、運転技能は格段に上達した。
思えば、理不尽に思えた数々の指摘も、言われてみれば、ということも多かった。
その一つ一つを直すようにしていたら、自然と運転が上達した。
もしも一発目で合格してしまっていたら、こんなに意識的な練習は行わなかっただろう。
その結果、大変な事故を起こして後悔していたかもしれない。
そう思うと、何度も指摘をして正してくれた試験官には、本当は感謝しなければならないくらいだ。
人生もまた然り。
自分を注意してくれる人。
厳しい指摘をくれる人。
時にそれは理不尽なもののように感じられることもあるし、実際に理不尽なことだってあるだろう。
だけど、本当に得たい結果(僕の場合、安全な運転技能)に照らして、プラスになることを言ってくれているのであれば、感謝するよう心がけたいもの。
良薬口に苦しとは言ったものだ。
苦い薬でも、飲まねば病気は治らない。
自分を叱ってくれる人に感謝して、前向きに努力できる人間になりたいと思いました。
ありがとう、免許試験。
ありがとう、巨漢の試験官。
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