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すべての能力を仕事に振り切った男の末路

どうも、束の間の一時帰国を終えて、シリコンバレーに戻ってきた生活力ゼロ人間でーす✌︎

一時帰国中は実家でぬくぬくと、母親や祖父の作る美味しいご飯を腹いっぱい食べさせてもらっていましたが、アメリカで僕を待っていたのは空っぽの冷蔵庫。

唯一あったのは、水とチーズ、それから棚に入っていたツナ缶2つとお湯で食べられる味噌汁の「具」だけでした。
#お母さん 、おじいちゃん、3週間ありがとう。

僕の心を代弁するかのような空っぽの冷蔵庫。左上、モッツァレラ選手の渾身の「はい、チーズ」。

物事の重要な部分を「これのミソは〜」なんて言い方をしますが、味噌は大事です。「具がないと味気がない。でも味噌がないと何も始まらない」とは昔の人もよく言ったもんです。

帰って早々、仕事やら引っ越しの手続きやらが忙しすぎて、買い出しにも行けず。
今はNoteを書きながら、日本から持ち込んだカロリーメイトと柿のタネ、そしてツナ缶を海苔で包んで食い繋ぐ、被災後生活を送っています。
#今日発明した「ツナのノリノリ巻き」はうまかった!

でも、食べ物は買いに行けばなんとかなるし、いざとなれば時間を作って外食だってできるから、あまり心配は入りません。

もっと差し迫った問題は、まもなく家がなくなることです。

そうです、僕はもうすぐ、家なき子になります。

今のアパートは3月29日に契約満期を迎えて、出ていかなければなりません。

それは事前にわかっていたので、一時帰国前にしっかりと次のアパートの内見に行って、デポジットも支払って部屋を押さえていました。

日本に帰って、さぁ後は契約書を巻くだけだと思っていた矢先。アパートから突然のSorryメール。

どうやら僕には生活力だけでなく、米国で生きていくだけの収入も、足りていなかったようです(泣)

銀行の預金を見せると、これだと機関保証人を立ててくれないと無理と言われ、やむなく断念。

次のアパートが決まるまではホテル生活または同僚宅に転がり込むことが、本日決定いたしました。

端的にいえば、生活の基盤である衣・食・住の3つのうち、初手から「食」と「住」の2つを失う致命的な状況になったということです。

ドラクエで言うと、剣と防具を失ってアクセサリーのみで戦う、無謀な勇者です。

にも関わらず、そんなに焦っていない自分がいることに、いま焦っています。

生活力と収入と、危機感も足りていなかったようです。

これからはまず、ちゃんと危機感を持って対応に当たりたいと思います。


さて、普通に生活するって、大変ですね。

最近は誰と話していても皆、それぞれ「普通に」生きるだけでも、精一杯って感じがします。これはどんなお金持ちも、才能のある人も、全く変わらないなぁと思います。

一つやってもまた一つ、二つ終わるとまた二つ。

乗り越えるべきことが大小さまざま、次から次と、やってくるのが人生。

浄土真宗の祖師・親鸞聖人は、主著・教行信証の冒頭に、

人生を「難度海」=「苦しみ悩みの波の絶えない海」に譬えられています。

小さな波から、大きな波まで色々とありますが、毎日が波を乗り越えることの連続で、果てしがない。それが人生の本質だ、ということです。

中学や高校の頃は受験勉強や部活動の波があり、

大学生になると今度は中間レポートや期末レポート、就職活動の波がやってきて、

社会に出ると、苦手な上司や、怖いクライアント、同僚との出世競争の波が襲ってきます。

やがて定年を迎えて一息つく間もなく、老後2000万円問題や、親の介護、そして自分自身も身体が不自由になったりしてくるわけで、人生は死ぬまで荒波が絶えないものと知らされます。

大きな波だけでなく、日常の一つ一つが、越えるべき小さな波です。

毎日の食事ひとつとっても、レシピを考えて、買い出しに行って、調理をして、食べて、片付けて・・・これだけで僕の場合、3時間くらいかかってしまう。それが嫌で、仕事をしていると、ついつい飯を食うことをサボっちゃうほどです。

だから、朝・昼・晩ちゃんとこれをやっている人はすごいし、それをほとんど休まず、365日できているのは、普通に才能だと思います。加えて、朝眠いのに布団から起きて身なりを整えたり、掃除をしたり、洗濯したり、夜眠くても風呂に入って歯を磨いて化粧を落として・・・これも毎日、文句も言わずにみんな自分のためだということで、無給でやっているわけだから、表彰ものです。

僕なんて、欲を言えば、普通に生きているということだけで政府からお金をもらいたいくらいです。

そういう施策を、岸田政権に期待しちゃってます。

自分にできることだけ頑張ってやればいいよ、そんな風に言ってもらえたら、楽なんですけどねぇ。。。

さて、そうやって波を乗り越えるだけでも大変なのですが、

頑張って波を乗り越えていった先、僕たちはどこに辿り着くのでしょう?

どこに向かって、何のために、泳いでいるのか。

どこに向かって、何のために、生きるのか。

この答えが自分の中で明らかにならない限り、ただ泳ぐために泳ぐ人生になってしまうのではないか、と最近思います。

もしそうだとしたら、人生って割にあってなくね?なんて思っちゃうんです。

誰も教えてくれません。

僕の身体が昔より、大人になったからなのか。

おっさんになったからなのか。

あるいは心が、少年の頃のままだからなのか。

分かりませんが、最近強く、そう思います。

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