映画「クレッシェンド」…クラシックの名曲と絶望と希望のハーモニー
イスラエルとパレスチナとの間のいつ終わるかも分からない紛争。長いスパンで見れば、両者の対立は、激化と緩和を繰り返してきた。和平交渉の進展で、未来への希望がふくらんだ時期もある。端緒がささいなことであっても、坂道が転げ落ちるように状況が悪化してしまうことがある。この地域の歴史は、そうしたことの繰り返しだともいえる。
筆者も実感したことがある。2000年8月、最初にヨルダン川西岸のパレスチナ自治区を訪ねた時のこと。エルサレムから、ユダヤ人の運転手のタクシーに乗り、中心都市ラマッラーへ行った。後から振り返ってみると、驚くべきことだ。当時は、イスラエルとパレスチナの「2国家共存」を目指した1993年「オスロ合意」に基づく和平プロセスに望みがあった。当時はまだ、そんなのんびりしたムードがあった。
ユダヤ人の運転手が楽天的な人だったという、属人的要因があったことも確かだろう。初めてイスラエルに行った私自身も、この地域の現実に疎かったかも知れない。でも、この時期の空気は、車体にヘブライ語の文字が書かれたタクシーで、パレスチナ自治区に行くことが、それほど常識外れとは思えないものだったことも確かだ。
だが、状況はあっという間に変わってしまった。
その約1か月後、イスラエルの政治家アリエル・シャロン氏によるエルサレム聖地(ユダヤ、イスラム双方にとっての)を訪問した。これがパレスチナ人を刺激し、 パレスチナ側の抗議行動に発展し、いわゆる第二次インティファーダ(対イスラエル蜂起)につながっていく。双方の敵意は、住民間でもふくらんでいった。2年以上にわたる戦乱の時代だ。その後も、波動を繰り返しながらも、一度は高まった和平の機運が、復活することなく今に至っている。
個人的な話で前置きが長くなった。映画「クレッシェンド 音楽の架け橋」は、ガラス細工のように壊れやすいイスラエルとパレスチナの関係の上に、音楽を通じた「架け橋」をかけようと努力した音楽家たちの物語(フィクション)だ。
ただし、ストーリーには、下敷きといえるものがある。指揮者ダニエル・バレンボイム氏とパレスチナ人文学者エドワード・サイードにより1999年に設立された「ウェスト・イースタン・ディヴァン管弦楽団」だ。「共存の架け橋」を目指したこの楽団には、イスラエルとアラブ諸国の若い演奏家が加わっていた。
映画のほうの楽団は、イスラエルとパレスチナの混成であり、少し異なる。指揮者スポルクの来歴もバレンボイムのそれとはまったく異なる。だが、作品が訴えていることは、バレンボイムの思いとほぼ重なるだろう。
南チロル地方で合宿に入り、最初は、いがみ合っていた両者も、スポルクの努力もあって次第に打ち解けていく。演奏にも変化がみられてくる。
彼らが演奏する曲。「パッフェルベルのカノン」、ヴィヴァルディの「四季・冬」といった名曲が、ストーリーとは別の入り口からの感銘を与えることだろう。
音楽の力が、対立する両者に橋を架ける、といった理想的なハッピーエンドに向かうかのように、ストーリーは最終局面に入っていくのだが……
楽団内で育まれる、ユダヤ人女性とパレスチナ人男性との恋が、重要なカギを握る。実際、ユダヤ人、パレスチナ人の間での恋愛や結婚の例は少なくない。分断されているとはいえ、両者が知り合う機会はないわけではない。「ミックスト・カップル」と呼ばれ、2人でキプロスなどに逃れ、結婚するケースもある。双方の親・親族に強く反対されて、「現代版ロミオとジュリエット」のような悲劇が起きることすらある。
そうした悲劇は、国家や民族といった大きな枠組みの中で、個人の人生が翻弄されることの典型例だ。そうした境遇のもとに生まれたことの辛さはいかばかりだろうか。
ラストシーンに使われているラヴェルの「ボレロ」は、音が強まっていく曲であることから、「世界一長いクレッシェンド」とも言われるのだそうだ。お互いの歩み寄りで、少しづつ積み上げてきたものも、崩れるのは一瞬。そんな中東の厳しく悲しい歴史が、荘厳な音楽とともに描かれている。
作品は2022年1月928日(金から、東京・新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋などで全国公開される。(© CCC Filmkunst GmbH)
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