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戦争とは、生と死があっけなく入れ替わる恐ろしい状況のこと

以前、シリアに行った時に聞いた話を思い出した。内戦下、首都ダマスカスの自宅近くを歩いていた男性が、至近距離に迫撃砲弾が着弾したが、胸のポケットに入っていたスマートフォンが砲弾の破片が防弾の役割を果たして、奇跡的に助かったという。「これがポケットに入っていなかったら、自分は間違いなく死んでいた」。スマートフォンの現物を示しながら、50歳代の男性本人が淡々と話してくれた様子が、今も心に強く残っている。

戦争では、生と死が偶然に左右される。生存者と死者がほんの小さなできごとによって入れ替わる。内戦下のシリアを舞台にしたフィクション映画「シリアにて」では、そんな残酷な現実がリアルに描かれている。

映画の舞台は、戦場と化したダマスカス。何とか生活を続けようと、自宅アパートで女主人オームとその家族たちは籠城生活を送る。同じアパートに住む夫婦は、乳飲み子とともに隣国レバノンに脱出することを決め、夫がその準備のため外出するが、アパートを出たところで銃撃され、駐車場の端で倒れる。メードのデルハンからそれを聞いたオームは、撃たれた夫の妻であるハリマにはそれを言わないよう厳命する。

ハリマが、夫を助けようと外に飛び出していくことを食い止めようという考えからだったが、それから24時間の間に事態はめまぐるしく動く。アパートから出ることができない中で募る閉塞感。住人たちのいらだち、怒り、不信感は高まる一方、戦争によってもたらされる危機が次々と押し寄せてくる。

そんなストーリーの中で、ベルギーの社会派監督、フィリップ・ヴァン・レウ氏が示すのは、人と人との信頼や愛が、状況を打開する可能性もあるという、かすかな希望なのかも知れない。

ただ、9年も続いているシリアの凄惨な内戦を考えると、世界、人間、社会について楽天的な見方をすることに躊躇してしまうのも確かではある。実際、この作品も「かすかな希望」とともに「多くの絶望的な状況」が描かれていて、それが少なくともここ9年のシリアの現実だろう。

作品は8月22日から、東京・神保町の「岩波ホール」で公開される。女主人を演じるパレスチナ系イスラエル人のヒヤム・アッバスら俳優陣の演技は胸に迫るものがある。太平洋戦争の終戦から75年を迎えた節目の夏。現在形であるシリア内戦を題材にした映画を通じて、戦争を改めて考えることができる作品だといえるだろう。

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