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「送料無料」というものが意味すること

ずいぶん前の話になりますが、とあるドリンクのプロモーションのためのインスタライブを見ていた時、視聴者からこんなコメントが出てきました。

「その商品、気になっているのですが、送料が気になって手を出せずにいます」

簡単に言えば、「送料を無料にしろ」という要求です。

プロモーターがこの要求に応じたのかどうか、知る術はありませんが、もし送料を無料にした場合、この人はこの商品のファンとなり、長期間のリピーターになってくれるでしょうか。
残念ながらその可能性はほとんどないと思っていいでしょう。

なぜ、そう思うのか。
今回はその理由を「送料無料」というものが意味することから読み解いていきたいと思います。

そもそも、なぜ送料というものが発生するのか。
当たり前ですが、モノを送る際に運送会社に支払うお金がかかるからです。
できるだけ安くモノを手に入れたい人にとっては、払いたくないお金なのかもしれません。

ここで考えていただきたいのは、「できるだけ安く」ということが何を意味するかということです。

安い方がトクなんだから安い方がいいに決まっている。安いということは正義だ。

市場経済が機能する資本主義においては、この考え方は「ある程度」正しいと言わざるを得ませんが、別の視点で見ると、この考え方が本当に正しいのか疑問が出てきます。

「安い」という言葉の主体は「お金」ですが、お金の機能というのは以下の3つと言われています。

(1)価値の保存
(2)価値の交換
(3)価値の尺度

この中で「価値の尺度」というものに着目すると「安い」ということは、「価値が低い」ということを意味することになります。
つまり、「安さ」を求められるということは、「その商品にはそんな価値はない」と言われていることに等しいということになります。

こうやって考えると、「送料無料」という要求が何を意味するのか。

「配送というサービスには価値がない」

ということを主張しているか、あるいは

「そのモノの価値はどうでも良くて、とにかく安ければいい」

という、先に書いた「価値の交換」において、等価交換では納得せず、相手が損してでも自分が得をしなければ気が済まないという強欲な考えかのどちらかではないでしょうか。

こういう人の場合、モノやサービスの価値はほとんど見ていないでしょうから、他に安いものが出てくれば、すぐそっちに乗り換えて離れていってしまうということが容易に想像できます。
これが、「その商品のファンになる可能性はほとんどない」と思う理由です。

残念ながら、価格競争が存在するというのは厳しい現実です。
ですから、安い方がイイという考え方は否定できるものではありません。
「価格競争の中で、多くの消費者の支持を得ていくんだ」という考えでビジネスを行うのであれば、送料を無料にする、価格を下げるというのは有効な戦略だと思います。

また、多額の買物をしてくれたお客へのサービスとして送料を無料にする、もしくは一定額以上の買物をしてくれたら送料無料になりますよと謳うことで、追加の買物を促す。
そういうことであれば、送料を無料にする意味はあるでしょう。

ですが、価格競争の世界ではなく、自分の取り扱っている商品の価値を大事にし、その価値をわかってもらえる人に使ってもらいたい。楽しんでもらいたい。
そう考えるのであれば、その価値に見合った正当な価格をつけるべきであり、また、その価値をわかってもらえる人を相手に商売をすべきではないでしょうか。
(経済学をちゃんと理解している人は、「価格を上げればモノが全く売れなくなる」ということはウソだということが理解できるかと思います。)

実際に、いくつかのコーヒー屋さんでは、一杯のコーヒーの平均価格が一般的なコーヒー屋さんの2倍くらいの価格だったり、
1杯10,000円のコーヒー普通に売れていたり、
完全予約制で一席16,500円というコーヒー体験があったり、
それでも商売としてしっかりと成立しています(むしろ人気店になってると言ってもいいでしょう)

コーヒーの世界では「サードウェーブ」という流れがありますが、これはコーヒー本来の価値を重視するという考えが根底にあると聞いています。
これは、「生産者であるコーヒー農家に、コーヒーの品質に見合った正当な対価を支払うべき」という思想にもつながっています。
この思想に従った場合、消費者に提供するコーヒー1杯の値段を安くして、生産者に正当な対価を支払うことができるのでしょうか。
また、生産者は自分達の作ったコーヒーが低い価値のものとして取り扱われることを歓迎するのでしょうか。

また、「サードウェーブ」というものの、本質的な意味の一つとして、「サスティナブル」というものがあったかと思います。
お客から価値に見合った対価をもらわないとどうなるか。
自分達が正当な対価をもらえてないのに、取引先に対し正当な対価を支払うとすれば、自分達の生活が一番サスティナブルではないことになる。
そこですめばまだいいほうで、その結果、店が立ち行かなくなり、潰さざるを得なくなったら取引先からモノを買うことがなくなる。
これは、コーヒー農家に正当な対価どころか、お金そのものを払うことができなくなることも意味します。
つまり、多くのコーヒー関係者に、サスティナブルではない影響を与えることになってしまうのではないでしょうか。

価格競争の呪縛から逃れることは不可能なので、他のお店での販売価格を考慮して価格設定を行うことが必要なのは理解します。
ただ、サードウェーブのような思想に賛同するのであれば、「他のお店がこの金額で売ってるから自分もこの金額にしよう」という価格の設定をするのではなく、「そのモノ本来の価値を考えたらこの金額にしよう」という考え方も取り入れた上で価格を設定し、なぜその価格になるのか、そのモノにはそれだけの価値があるんだ、ということを理解してもらうことに注力する。そんな考え方もあるのではないでしょうか。

最後に。
私事ではありますが、不幸な流行病で国全体がロックダウンでコーヒー屋さんに自由に行けなくなった時期に、お付き合いさせてもらっている全国のコーヒー屋さんからオンラインでコーヒー豆を購入し、家でコーヒーを淹れていました。

この時、とある人から「送料もバカにならないよね」と言われました。

これに対しては、「お店に買いに行く交通費や労力(コスト)を考えたら同じじゃないか」と回答しておきました。

もし、「送料」と「お店に買いに行くコスト」の価値が同じであれば、送料無料を要求する人にとって、その商品はどういうものなのか。

「わざわざ買いに行く価値のないもの」

あなたの提供している商品はそう思われているのかもしれません。

そんな人に自分が大切に思っている商品を売りたいと思うかどうか。
もちろん、売上は大事ですし、喉から手が出るほど欲しいものではありますが、変な価格競争から一歩引いてみることで、売上は減るかもしれないけど利益は増えることになり、結果としてビジネスとして成立する。そして、自分も変なストレスを抱えることがなくなる。そんな世界が待っているのかもしれません。

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