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「食べる」こと

夏野菜の季節になると、チクリと胸が痛む思い出があります。

20代の頃に住んでいた部屋で、送ってもらった新鮮野菜を放置して夏の暑さでダメにしてしまったことがありました。
今思うと、丹精込めて作った採れたて野菜と、それを食べさせたいという気持ちを頂いたのに、本当に申し訳なくもったいないことをしたと反省。
当時はありがたく思いながらも、勤め仕事に追われて疲弊して、「早く調理して食べなくては」とプレッシャーを感じる方が勝ってしまい、煩わしい気持ちがありました。
予定外に飛び込んできた食材に、自分の時間を奪われるような気がして、「面倒だな」などと思ってしまったのも正直なところ。

あの頃は、毎日働いてお給料をもらって日々暮らせれば、それで生活できていると思っていたし、実家の母から「ちゃんと食べている?」と聞かれれば、当然のように「食べている」と答えていました。
いつでもお店に食材は並んでいるし、お金を出せば手軽な食べ物はすぐ手に入ります。
だから若い頃は、手間のかかる素材からの料理は気まぐれ程度にしかやらなかったし、旬の野菜の本当の美味しさも、値段も調理法もよく知りませんでした。
身近な野菜のその本当の価値を知らずして、それで「ちゃんと食べて生活している」つもりだったなんてお恥ずかしい限り。

ところが、毎月決まったお給料を貰えるお勤め仕事と違って、店を始めるととたんにシビアに食に向き合うことになります。
まさに、この不安定でささやかな収入で自分ひとり「食べて」いかなくてはならなくなりました。
「食べる」には、実際にものを食べる意味の他に、「生計を立てる」の意味もありますね。
そして、若い頃と違って健康も気になるお年頃に。
いかに節約するか、いかに体に良いものを摂るかを考えると、一時に大量に出回って飽和状態になる旬のものを、シンプルな調味料で自分でこまめに料理するしかありません。
畑をやっているご近所さんから旬の野菜をいただくたびに、この野菜で何品作れるかな、いかに美味しくできるかなとそれはもう切実で、そしてそんな食材を譲って貰えることへのありがたさも痛感するようになりました。
長野は野菜も果物も美味しくて、田舎暮らしはご近所さんからいただく機会にも恵まれて、旬の野菜に困ることはありません。

無農薬の野菜は、虫がいそうな気配を感じる部分は若い頃は思い切って捨てていました。
けれども今はゴム手袋を着用して、虫を発見するたびに小さな(時に大きな)悲鳴を上げて震えつつ、勇気を振り絞って外の水道で洗っています。
目に入る前から「いる!」と、どんなに小さな虫の存在も察知できる特殊能力が、どうやらわたしにはあるようなのです。
前世で虫を捕食する動物だったのかな。
今世で幼虫系が大の苦手ということは、もしかして前世で食べ過ぎた罰?
昆虫食にはまったく惹かれませんが、タンパク源としては渓流釣りが趣味の夫がイワナを釣ってくるし、ご近所の猟師さんからはイノシシやシカなどの肉が届くこともあり、歓喜しながらいろんな調理法を試して食べています。

ともかく、自然の恵みは美味しいし、量が多ければ保存食にすればいい。
そうやって山菜も野菜も果物も肉も、できるだけ無駄にしないよう食べ尽くします。
けっして「料理好き」とはいえないわたしが、必要に迫られて、先輩方や友人たちに教えて貰いながら、キロ単位のジャムや漬物を作ったり、味噌やメンマ作りをするようになりました。

料理はとくに好きという訳ではなくても、美味しく食べることが大好きなのが幸いしたようです。
大した料理はできないけれど、昔は面倒だったちょっとした下ごしらえが、今はなんでもないことになったことに気づいて、「ああ、生活しているなぁ」と感じます。

そんな自分の手はだんだん節くれだってきて、幼い頃台所で目にした母や祖母の手つきによく似てきたなと思うのですが、ほとんど炊事をしなかった若かりし頃のわたしの手は、「キレイな手」とよく褒められた(あるいは咎められた)ものです。

「昔は『キレイな手』って言われたのに、今はすっかり『汚い手』だよ」

と、ずいぶん前に夫にボヤいたら、珍しく真面目な顔をした彼に、

「それは『汚い』んじゃないよ。『働く手』なんだよ」

と言われて、ウッカリ涙が出そうになったことがありますが、今、母や祖母と同じ手つきで「生活しているなぁ」と感じられると、「食べるものを作る人の手」になったんだな、とちょっと幸せな気持ちになります。
飲食店をやっているから当たり前と言えば当たり前なのですが。

とはいえ、お金で解決できる経済力もつけたいところ。
新鮮野菜のありがたみを知って、20代の頃にはできなかった「食べる」ことがようやくなんとなくわかってきた今、「生計を立てる」ほうの「食べていく」ことも、若い頃ぐらいにはなりたいな……。
思いがけず20代の頃の収入を思い出して焦る夏です。

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