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子供たちの可能性を信じる療育を目指して

療育ってなんだろう

「教育」の意味を辞書等で調べると、教えて知能をつけること。技術、才能を伸ばすこと。「保育」は保護して育てること。とありました。では、「療育」はなんだろうか?調べてみると、「障害をもつ子供が社会的に自立することを目的として行われる医療と保育」とありました。放課後デイサービスで働いていると、「療育ってなんだろう?」という疑問にぶち当たります。私たち職員が日々行っている療育が、本当にこの子たちに合っているのだろうか?必要なことだろうか?間違っていないだろうか?もっと良い療育方法があるんじゃないだろうか?子供たちと関われば関わるほど、もっと可能性を伸ばしたいとか、もっとこうしたい(こうしてあげたい)、こうなってほしい、という願望が出てしまうのです。しかし、療育の目的は、辞書にも書いてますが、「社会に自立すること」なんですよね。その子なりのやり方で相手とコミュニケーションをとって、社会の中で生きていく術を身に着けれさせる。そのためにはどんな時でも、その子の可能性を最大限に信じること、今している療育がきっと未来につながっていると信じることなのではないでしょうか。

放課後デイサービスで療育を受ける意味とは

放課後等デイサービスに通えば、宿題をやってくれる。身支度が自分でできる。ルールを守ってお友達と遊べるようになる。先生の話をよく聞けるようになる。など、預ける親御さんとしては、教育、しつけの部分でもできればこうなってほしい、という願望あると思います。しかし、一つ言いたいのは、発達障害児の発達には、凸凹があるということです。できる比率が偏っている、バランスの悪さがみられます。一般的な子どもたちのように、一つの事柄ができたら、さらに次へという積み重ねた発達がうまくいかないのです。ステップアップするにしても、とても時間がかかるということです。体は小学生でも知能は1~2歳という児もいます。療育でできることは、今現在理解していることを繰り返し積み重ねていく。そしていつしかステップアップするときを職員と親は根気強く信じて待つ。これに尽きるのではないかと思います。そして、社会に出た時に、最低限これだけはしておかないと、と思うような身支度を整える、挨拶ができる、人となんらかのコミュニケーションをとれるような方法を、その子にあったやり方で増やしていくことなのかなと感じています。

ダウン症の男の子(実例)

ここで一つ実例を紹介します。現在中学1年生のダウン症の男の子なのですが、幼稚園のころから療育機関を利用しています。幼少期は児童発達支援で、職と1対1の密に関わったコミュニケーションを取っていました。それこそ排泄、手洗い、着替えなど生活に必要な基本的なものから、他児とのかかわり方、数字、文字、場面に応じた言葉遣いなどあらゆる療育を受けてきました。現在、体格は大きくなりましたが、知能は3歳程度のままです。一応職員の言語理解をしていますが、上手く自分で言葉にして気持ちを伝えることができません。そのため上手く伝わらないとイライラして怒りをぶつけてきます。これが、実年齢3歳の男の子なら、物を投げようがギャンギャン泣こうが怒ろうが、かわいいものです。しかし体格の良い中学生の男の子が同じようなことをすると、職員3人かかりで止めるのがやっとです。彼自身感情のコントロールがうまく出来ず、急な飛び出しや大声で叫ぶなど問題行動に出てしまうこともしばしあります。彼は長年療育を受けていますが、理解度は低く出来ることも少ないです。それでも職員は、日々同じことを繰り返し伝えていきます。いけないことはいけない。自分の思いを表現するための言葉遣いを伝える。また身体的なサイン、手話等でのコミュニケーションを図る。今の療育がいつかのステップアップにつながると信じ、現在も継続して行っています。

まとめ

がんばって訓練して、出来ないことを出来るようにしようとすると、子供も親も大変です。それに出来ている他児と比較して、どうしてうちは…と嘆く原因にもなりかねません。療育の現場では、とにかく子供たちの可能性を信じなくてはなりません。発達に凸凹があっても、優れた面を切りとってみれば、光る原石、個性です。出来ることを出来るやり方で、得意なこと、出来たことはすぐにほめる。苦手なところはやり方、言葉かけを工夫してサポートしていくのが放課後等デイサービスの役割だと思っています。発達障害児は、いろんな疾患を抱えている子がいます。知的にしても軽度~重度まであります。多動性、衝動性が激しい、おしゃべり好きから緘黙、いろんな子供たちが日々教室に集まっています。一般的な子どもたちのように、言葉かけ、号令で同じことを一斉にすることは出来ません。理解度にも個人差があります。でもこの子たちもいずれ社会人になります。今はかわいいかわいい小学生~中学生でも、いずれ学校を卒業して大人になり、社会に出ていくのです。その時、受けた療育が少しでも習慣として身についていたらいいな、と思うのです。

ダウン症の男の子の実例のように、長年療育を受けても、まだこのレベルか…と思うような子は正直います。時に成長を感じたり、また後退しているなと感じたりして、成長過程においてのアンバランスさが見え隠れしています。しかし、一般的な成長をしている子供たちであっても、成長のばらつきは見られますから、だからいけない、ダメ、ということは決してないはずです。私たち放課後等デイサービスの職員は、これからも「療育ってなんだろう?」と問い続けながら、その時々に必要だと思われる療育を行っていくとでしょう。親御さんと寄り添いながら、その子にあった方法で、よりよい療育ができるよう、日々精進していきたいと思っています。

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