『孤独では無い』とは、どのようなことか

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土曜の午後のその地下鉄は、どの車両も似たような混み具合で、

座ろうと思えば全員が座れるのに、カップルや、家族連れが所々で、

立ったままで話をしている。


私は一人ドアの脇で、横並びの座席の端を囲う板に背中を預けて、

暗い外の風景を眺めていた。


私はいま、孤独である、ような気がする。


スマホを取り出して、明日の天気予報を見ようと思った。

晴れであることを確認すると、

そのままポータルサイトのニュース記事を読み始める。

そこには、どこかの国の災害のこと、どこかの都市でのデモのこと、

どこかの町で起きた事件のことが、書かれていた。

それらを読んでいた時、私は孤独ではなかったが、

それらを読み終わった今また、私は孤独である、ような気がする。


地下鉄が駅に停車した。


若いカップルが私の目の前のドアから、駅に降りていく。

もし違う人生なら、

私にも電車に乗りながら会話をするような恋人がいた、

かもしれない。

その想像は、私に孤独感をおぼえさせる、ように思う。


私の「孤独ではない可能性」が、孤独を感じさせているのか。

単に、うらやましいだけ、だろうか。

とはいえ、ある意味では、人が孤独であるのは、当然ではないか。

ここにいる私という人間は、この車両にいる誰とも同じではない。

同じではないものは、本質的に孤独であることしか、出来ないのではないか。


いや逆に、何者とも同じではない唯一のものである、

と本当に思っているなら、

それは、孤独にはなれない、のではないか。

ある世界に、初めから人間が一人しか存在しないとき、

その人間は孤独なのだろうか。

この宇宙にひとつしか存在しない「この宇宙」は、孤独なのだろうか。


次の駅で、私は電車を降りる。


地上に出て歩いていると、冷たい空気の中で日差しが温かいことに気づいた。

あたりを眺めれば、たくさんの人が歩いている。

子供、大人、老人、ベビーカーの赤ん坊・・・・

ここにいる誰かは、私の孤独を打ち消すことが出来るのかもしれない。

この中には、最も強く私の孤独を打ち消してくれる存在が、

いるのかもしれない。

犬は、樹木は、高層ビルは、道路は、空気は、太陽は・・・・


そんなことを考えている間、

私は『孤独』でも『孤独ではない』でもないようだった。

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