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妄想大東京#0 『文章を書くこと』

noteを始める。
今までの私の文章の主戦場はInstagramであった。
Instagramの使い方を完全に間違えている。
だからnoteを始める。

しかし…

どうして私はそんなに文章が書きたいのか。

夏休みの読書感想文も好きではなかったし、親への感謝の手紙も好きではなかった。想い他人へ小粋な恋文なんてなおさらである。

本を読むのも好きではなかった。姉2人は本をたくさん読んだ。というか僕が生まれる時には既に実家には多くの本が並んでいた。実家に多くの本が並んでいた、という認識は元々なかったが、歳を重ねるに連れ、あらゆる家を訪問することで気がついた。

というわけで姉達は国語の成績がすこぶるよかった。これは本をたくさん読んでいるおかげだわ!っと聞こえてくる。だから親は私に言った。

本を読め!

しかし本を読むのは好きではなかった。本を買う時はタイトル買いか、ジャケ買いである。1ページ、2ページ読む。頑張って3ページ読む。パラパラっと残りのページ数を数える。あと、306ページ…ふぅ、一旦お茶でも飲むか。という具合である。

本が読みたくて仕方がない!

というのが私である。本をたくさん読んでいる人は好きだ。あらゆる知識を持っていて楽しいし、難しい言葉も教えてくれる。何はさておき、知的に見える。You look great!なのだ。だから本が読みたくて、読んでる人になりたくて仕方がない。

しかし本を読むのは好きではない。

活字カルチャーで唯一好きなのは、遠足の作文や卒業文集である。私は優等生の型がある文章が好きではないのかもしれない。こんなことを言うのは、

俺は優等生じゃねぇ!破天荒な男なんだよ!

と言いたい欲望から来ている。

ということで、私が文章を書く理由に、
*自己顕示欲*というのが9.8割をしめている。

•自己顕示欲
私は文章で、「俺は人と違うんだぜ!」感をだすのがうまいと自負している。本当はビジュアル(映像、写真、グラフィック)や音楽で見せたいのだが、なかなかできない。ビジュアルで自分の世界を表出できる人たちを心から尊敬する。要するに、現代のビジュアル戦国時代にInstagramやYouTubeでブイブイ言わせている人たちに嫉妬している。だから私はこうして、うだうだと文章を書く。

俺は本当は変わってるんだよ!才人なんだよ!みんな気づいてくれ!

と文章で叫んでいる。

だから私は文章を書くことを辞めることができない。

まだだ!
私が文章を書く理由があと、0.2割残っている。

その残りの理由はあまりにもかっこつけているが、*過去の賢者保存*である。

•過去の賢者保存
たまに過去に書いた自分の文章を読む。すると何を言っているのか、さっぱりわからない時がある。その時に思った。その文章を書いた時の自分は自分であるのだろうかと。今現在の自分は過去の自分を消失し続けている気がした。何を考えているかわからない過去の自分を現在の自分は捉えることができていない。とても奇妙である。過去の自分から自分にはない『新しい』を学習している。だから、

賢者(過去の自分)を保存したいと感じた。

だから文章を書く。
自分のことを賢者なんて…と照れそうになったが、過去の自分は自分の知らない人なのだ。そうなのだよ。

#0
以上。

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