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長屋というプライバシーが欠如した共同空間がもたらす共同体意識

以前宗教の観点から「”集う”理由の考察」と題して、儀礼や祭礼における集団行動に着目して、求心性や祭礼といった集団行為の由来について考えを述べた。


今回は、より生活に密着して、長屋という江戸時代における共同住宅に着目し、共同体における共同体意識の由来について紐解いていこうと思う。


かつて世界でも最も規模の大きい都市の一つであった江戸。19世紀ごろには江戸の人口は推定百万人いたと考えられている。

階級ごとに厳密に分けられた町の区画において、長屋は町人地区の最も主要なタイプの住居だ。家賃も小さい部屋であれば500文程度、現代の金額でいえば1万5000円程度であったという。この価格は当時としても高い価格というわけではなかったため、当時の江戸における人口の流入の一助となったとも考えられる。

こうした賃金の安さ、また町の発展における土木作業も多かったため仕事も多く、各地方から職を求める農家出身の人がこの長屋に居住した。したがって、日本という狭い国土であったにせよ、この長屋という住居形態は過去の日本における多文化共生の共同住居のようなものであったともいえる。


このような社会的背景によって各地から集まった人々に共同体意識をもたらしたものは何なのか?

それは過度な人口密度からもたらされたプライバシーが犠牲にされた長屋建築によるものだろう。

彼らの住居はそれぞれ壁によって仕切られているが、その仕切られる壁厚はベニヤほどであったという。したがって、隣の生活音がかなり聞こえてくる状態であった。


しかしながら、こうした居住環境は、住人間同士の相互理解につながり、共同使用する水道での会話も自然と深いものとなる。

”井戸端会議”という言葉も長屋から生まれた言葉で、こうした環境がもとになって生まれた言葉であっただろうと推察できる。

”個”という言葉が広く叫ばれるようになった昨今、インターネットやSNS上のような匿名の人物や遠い人々とともに行われる理解ではなく、より深く互いの人物像に触れるようなプライバシーの欠落した住居は、一見現代では嫌煙される様態ではあるかもしれないが、人の本質的な共同意識や生活における本質的な価値を示す一助になるだろう。

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