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どこまでも情に流される


うわべだけの付き合いなんていくらでもやれるわと思ってたけどちがった。私は自分で思っている以上に人間を必要としているみたいだ。ひとりより孤独を感じても、あれこれ文句を言いたくなっても、傷心にたえない毎日だとしても、心と心が触れ合うような深い交情を求めているんだ。

実際に人間関係の渦に巻き込まれたときには、矛盾と葛藤や見栄と意地や嫉妬と憧れの荒波に揉まれて、こんな文章はただのきれいごとにしか感じられない。というか今だって本当は、人間が見せる色々な表情を思うとぞっとする。そしてそれでも他人とかかわりたいと願う人間らしさも含めたすべてのしがらみや不自由から解放されたいと思う。それもそれで本望なんだ。

でも私はまだその場所まで歩いてはいないんだろう。今の私は、これまで通りにどこまでも自分や他人の情に流されて、感情むきだしのまま生きているほうが自然なんだろう。そのほうが未熟者の自分自身に誠実な感じがする。

本当は解放される日を夢見ているけど、いま解放されたら、私はただただ空虚なだけの存在になってしまうだろう。そんな形で解放されたいわけじゃない。何かから逃げ出すのでもなく、生きることに投げやりになるのでもなく、いつか傷心のまま、すべてを受け入れることを選びたい。それが本当の自由だと思う。

ドライな関係がこんなに苦手だったなんて知らなかった。ここしばらく無理して人間関係を割り切ろうとしすぎた。見えないふりや聞こえないふりをしすぎた。もう少し自分らしくウエットにいこう。それは今このときからできることです。

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