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ツイートには長く、noteにはまとまりがない



朝ちゃんと起きて、一日中簿記の勉強をするつもりだった土曜日。9時半の時計を一瞬見た記憶はある。二度寝して起きたら13時だった。

それでもそこからYouTube shortを1時間だけしか見なかった自分を褒めたい。
洗濯物を干して、シャワーを浴び、切るべきタイミングをとっくに過ぎた髪を邪魔にならないようにセットする。

南砂町。

その駅で降り、図書館までの道を歩く。
家族連れが多く住んでそうな町だなあと思いながら図書館に到着し、簿記の勉強をする。

経理に配属されてからもう5ヶ月、
「経理なんかに配属になったら辞めますわ!まあありえないでしょうけど笑笑」
って言ってた割には、それなりにやれている。
が、めちゃめちゃ楽しいわけではもちろんない。

仕事に楽しさを求めるのか、
やりたいことを仕事としてできる人なんてそんなにいない、
とは言われても、
そういう「そんなにいない人」になるために頑張ったつもりではあったんだけど。

めちゃめちゃ暗くなったけど辞めるつもりはないし、勉強して会計のことをもっと知りたいというモチベーションもある。いまのところは。


3時間ほど経ったところで、講義動画を見るためのヘッドホンの充電が切れ、閉館も近づいてきた。
軽く図書館を一周してみる。
勉強している高校生がやはり多い。
自分も地元の図書館で朝から勉強して、昼に一緒に来ている友達とご飯だけ食べて、また夕方まで勉強していたなあと思い出す。あの時は友達とみんなで勉強して、一緒に頑張ってる感が楽しかったな。誰か一緒に勉強しませんか。


帰ったところで食べるものはないので、
図書館の近くのスーパーに寄る。
「食べたいものがなかなか決まらなくなったらそれは疲れてるサインです」
というツイートを見たことがあるけど、
それで言うと、ぼくはもう長い間ずっと疲れてることになる。

疲れてる(と個人的に感じる)とき、
スーパーや本屋に入って、
何も買えないままただただ歩き回ってしまう。
選択することは、ぼくにとってかなりのエネルギーをつかう行為なんだなと感じる。

それに加えて、スーパーには、他にもぼくのことを削ってくる要素がある。

「こんなに食材とかいっぱい買えるのに、あなたはそういうカップラーメンとかパンとかばっかり買うんですね」
と言われてるような気がして勝手に凹む。


帰り道でふと思い出す、今もっと話してみたい人たちのこと。
好きだと言ってた芸人さん面白かったです。
休みの日って何してるんですか。
いまの仕事に対してどういう価値観で向き合ってるんですか。
これからってどういうふうに考えてますか。

大学生のとき、話したい・好きだ(恋愛的な意味ではなく)・一緒に遊びたい、、と思った人には、(今思えばずうずうしいぐらいに)それほど苦労せず声をかけられていた。
でも今は、ランチに誘うことさえすごく勇気を出さないと難しい。先輩カップルのデート?に参加していた頃が懐かしい。


図々しいとかめんどくさいとか思われたくないから誘わなくなる。
相手のちょっとした発言や行動が気になって一緒にいるのをやめてしまう。
1人が結局楽。

そう思ってしまうにはまだ早い気がするので、
ある程度割り切って、来週あたり誘ってみようかな。

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