⑤「みんなと一緒」はちょっとイヤ…
「国際結婚・国際離婚 これから私は”I do what I want!”」の⑤章目
①はじめに はこちら↓↓↓
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②なんでアメリカ? はこちら↓↓↓
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③出会いのルール はこちら↓↓↓
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④嫁姑問題問題は万国共通 はこちら↓↓↓
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日本人は流行に敏感で新しいものが好きであるようにつくづく感じる。
現在は、2020年始めから世界中で猛威を振るうコロナ禍にあるので、洋服や靴・アクセサリーなどの装飾品・化粧品等のファッション業界は打撃を受けていたと聞くが、そうは言っても「流行り」と言われる
ファッションはある訳でショッピングモールでもはたまたインターネットのショッピングサイトでも流行最先端と言われるものを目にすることが多い。
私は特別『流行のものは絶対見逃したくないわ!フンガー!!』と言うタイプではないし天邪鬼な性格なので「流行りのもの」をあまり気にしていないが、結婚していた期間の日本への里帰りの折や本帰国して日本で生活をするようになった現在も、日本での流行・特にファッションに関して「ちょっとした疑問と息苦しさ」 を感じる。
その疑問や違和感・息苦しさと言うのは、女性向けの商品のキャッチコピーに対してだ。雑誌でもインターネット上でも目に付くコピーで「愛されメイク」「若見えコーデ」「男性が好きな〇〇はコレ!」「アラサー(アラフォー)にはイタイ!避けるべきメイク&ファッション」などなど第三者からの目線を気にするようなコピーがとても多いことだ。
そりゃあ、汚いよりも綺麗で可愛らしく人の目にうつった方が良いだろう。若々しく素敵に見えたほうが良いだろう。だって若いってだけでかわいいしね。
でも上記のようなコピーを気にする故か、その意識が刷り込まれてしまっているが為かは分からないが街中どこを見ても同じような出で立ちの人&ディスプレイが多く正直ギョッとする時がある。
ある日用事があり目的地に向かう途中で、紺色のゆったりしたボーダーのボートネックのカットソーに黒のワイドパンツ・黒のフラットシューズの20代~30代と思しき女性が2人郵便局から出て来るのを見掛けた。
同じ服装だったので私は「近くのお店か会社のユニフォームなのだろう」と思っていたが、2人はお互い声を掛け合うでもなく(いや、二人ともそう言われてみれば敢えてお互いから目を逸らしていた?)1人はその後自転車に乗って郵便局を後にし、もう一人は逆方向へ徒歩でバス停に向かい来たバスに乗って去って行った。その時に初めて彼女らの服装は制服ではなくたまたまカブっただけなのだと気付いたのだ。
その後もどこかに出掛ける先々で素材や・色に多少の違いはあるものの外観的にはとても似たファッションをしている人たちを多く見掛ける。
今も流行っているのかは分からないが、帰国して早々に男女問わず小さめのボディバッグを短い斜め掛けで装着している人を山ほど見た。
まるで親の仇かと思う程本当にたくさんの人が同じような形と色のバッグを同じように身につけていて、尚且つそのバッグ本体の位置からも私の感想は「それ、胃じゃねぇの?何?バッグで胃を守ってるの?」であった。
たまたま同じ飛行機で日本に来たアメリカ人男性とご夫婦も同じ感想を述べていたので私だけが穿った見方をしていた訳ではなさそうだ。
『出る杭は打たれる』『協調性』『平均』が好まれる国民性だからと言われてしまえば「そうですね」としか言えないが、これだけグローバル化が進んでいるにも関わらず未だ日本は人目を気にするあまり無難に走りすぎているのでは?と感じてしまった。もちろんその環境が心地良い・ハッピーだと感じているのであれば全く問題はない。無問題だ。
流行りを追うのも楽しかろう。私だって学生の頃・若い頃は「流行っているから」「みんなが着ているから」と言う理由で洋服や靴を沢山購入してきた。
人とカブろうが何だろうがファストファッションも楽しんだ。
でもある時からその「流行りの恰好」が私に似合っていない場合がある事に気付き、いつも誰かと同じである事・人目を気にする事に息苦しさを感じ出してから、選ぶ基準が「自分に似合うもの・自分が好きなもの」に変わってきた。
誰かがしていたファッションがとっても素敵で、でも全部ではなく一部を真似したりアレンジして取り入れてみたら案外自分にも似合う事が分ったり、その逆でどんなに好きでも笑っちゃう位似合わない場合も多々ある。
実際「素敵♥」と思って試着室で着てみたら想像とは似ても似つかずヘンテコ過ぎて一人で吹き出して笑ってしまったこともある。
それもまた自分を知ることになるし楽しいではないか。ネタにもなる。
「自分に似合うと感じるもの・好きなもの・素敵と思うもの」が基準になり私のウキウキ気分と比例するように、日本人からは『あなたは少し変わっているね』と言われることが増えて来た。
(逆に外国人(この時は英会話教室の先生たち)からは「良く似合ってるわよ!」とか「素敵だね」と言われることも増えて来た。)
変わってる?誰が?私が?!
何をおっしゃる、お嬢さん!
私ほど10人並みな容姿で世間一般な常識を持ち、特にずば抜けた才能がある訳でもない平凡な日本人は居ませんよ?と思ったものだし、どこがどう違うのかもよく分からなかったが、その後20代も半ば以降に英語の勉強を始めてから20代後半に初めて人種の坩堝のアメリカで短期留学・ホームステイをした際に「これだ!」と肌にひしひし感じた。何かのCMにあった『みんな違って、みんないい』。これなんだ!!と感じて私はホッと力が抜けて息がつけたのだ。
アメリカには様々な人種・様々な体系・様々なアイデンティティーの人が居て、でも皆特に人目を気にするでもなく自由に好きなものを着ている。
(もちろん宗教上の理由や仕事の都合など様々な理由があり好きなものを身に着けられない人もいるだろうが。)ものすごくふくよかな体系の人がピッチピチのドレスを着ていても、「ちょっとダサいな」と言うようなヨレヨレTシャツを着ている若いお兄ちゃんも、超ミニスカートを着ているしわしわのお婆ちゃんもいる。かと思えばビシッと仕立ての良いスーツに身を包んだ紳士もいるし、きゅっとした細い足首を強調するようなハイヒールとタイトスカートで隙が一切ないバリバリのキャリアウーマンや蛍光カラーのホットパンツからスラリと長い足を見せたティーンの女の子も、全身タトゥーだらけなのに日本のアニメキャラのコスプレをしている男性も、バッチリメイクをしておめかしをしているドラアグクィーンにも会ったし、ユニセックスなシャツとパンツをそれぞれがアクセサリーを合わせて2人でコーディネイトしているゲイカップルも堂々としていて恰好良かった。
お店に行っても同じデザインの服がすごく小さい00(XXS)から24(XXXLLL?とにかくデカイ)と「どこまでサイズ表記の数字が増えるんだろう?」と突っ込みたくなる位に大きなサイズまで揃っているのが、なんて素敵なんだろうと感動したものだ。
この国はみんなが同じように好きな服を着ておしゃれをする用意が出来ているんだと感じてすごく嬉しかった。
1番大事なのは身に着けている本人がハッピーな気持ちになるかどうかではないだろうか?もちろん似合っていれば更に言う事はない。
(アドバイスは有難く聞くけれど)人からの評価を気にせず自分で自分を「私、素敵!似合ってるじゃない♪はぁ~~とっても心地良い~」と思えることが1番大切だ。
そうやって個性を出してどんどん発信しているから、渡辺直美ちゃんはこんなに人気が出て注目されるファッションアイコンになったんだろうなとつくづく思う。きっと彼女は今NYCで伸び伸びオシャレ出来ていると思う。
そして人の事は…いいじゃない、何を着ていても。
『あの人BBAなのにミニスカってwww』と頼んでもないのに人を評価したり嫌いなファッションなのに男ウケの為だけに服を選ぶってナンセンス。と、私は思う。
そもそもハゲ散らかして腹が出たオッサンが偉そうに女性の服や容姿についてとやかく注文を出していること自体が「うるせぇ、すっこんでろ」
としか思えない。
ギョッとするファッションをしている人がいても「あぁ、あれが好きなのね。良かったね、好きなもの着られて」「きっとそれを着るのが夢だったのね。良かったね」でいいじゃん??
そうみんなが思えるようになったら日本はもっと生きやすい優しい国になると思う。
よく痴漢やレイプされた女性に対して『そんな恰好していたから仕方がない』とか言う人がいるけど、違うからね?どんなシチュエーションであったとしても、例え裸でそこにいたとしても『痴漢をした人』・『レイプをした人』が100%絶対に悪いんだからね?そろそろ日本は「加害者に優しい」意識を本気で変えて欲しい。
話が逸れたけれども、私は誰が何と言おうといくつになってもどんどん短パンを履くし、テキサス民なら誰もが知っているであろうバッキースのキャラクターのビーバーがドーンとプリントされたTシャツもヘビロテで着るし(バッキースはこちら→https://www.amazon.com/buc-ees-Clothing-Shoes-Jewelry/s?k=buc-ee%27s&rh=n%3A7141123011)なんだったら在宅勤務中にも着るし、はたまた膝上のスカートやワンピースも、ウェスタンブーツだってジーンズやロングスカートと合わせて日本でもどんどん着るし、ドレッシーなドレスも着物だってガンガン着て行く所存である。
なぜなら私がそれらを好きだから。
どうだ、文句あるか!みんな、「誰か」ではなく自分が好きなものを着よう!!
教訓:いくつになっても好きなものを身につけるのが幸せ体質になる1歩
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