見出し画像

毒親育ちの不幸自慢

私はタイトル通り、宗教依存毒親、毒家族育ち。

私と同じ機能不全家族で、虐待を受けた過去を持つ人でも、前向きにキラキラ輝いて、強く幸せに生きている人はいる。

でも、逆に後ろ向きで、恨み言ばかり言い、自分の至らなさを叱られると毒親のせいにして言い訳ばかりする人がいる。
それが私だ。

私はどうして

「自分がそう言う思考に至ったのか」

と言う自己分析の上、毒親の影響でこう言う思考になった。と説明をしているつもりで、自己分析は悪くはないが、その説明は不要だったのだ。

そうやって分析して、いちいち言う物だから、結果、それが私にとって、いつの間にか1番楽な方法になっていたのだと思う。

何かのせい、誰かのせいにして逃げると言う逃げ癖が付いていた。

そして、愛されて、思考や自己を形成する根っこを当たり前に与えられ、育てられた人間には私の事は分からない。

と、壁を作り自分を守るのと同時に、人の気持ちがわからなくなってしまったのだと思う。

私は自分の本質的な難点、悪い所を指摘されると、見捨てられ不安からパニックになり、自身を見失う。
普段冷静に自己分析している自分の存在が消える。
それを探すが見つからず、余計にパニックになる。

相手の言葉を何度も咀嚼する。
何度も何度も咀嚼する。
考えて考えて考えた末の答えは

「分かってない」

毒の事になると、途端に冷淡に全て否定的に取り、恨みばかりにとらわれて、親を捨てた人間は、他の人や、大切な人の気持ちまでわからない愚か者になっていた。

私は勘違いをして大間違いをして、後ろばかりを見て、その話をする。
そんな不幸自慢を聞きたい人なんてどこにいる。

私は今、大切な人を失う瀬戸際だ。
だからそこ、その人の前に少しでも胸を張って会えるように、本当は不安だし凹んでいるけど、立ち止まってる暇はない。

前を向いて私を好きでいてくれる、大切にしてくれる、愛してくれる人。
私に嬉しい気持ちや、幸せな気持ち、大切な言葉をくれる、素敵な人たちを見てなりたい自分を、まず考えることから始める事にした。

そして、いじけ虫が来たり、また後ろ向きになっても、必ず前を向き直し、時間がかかっても、なりたい自分になる。

それが私を生きやすくする、幸せにするから。

私は私を生きやすくして、家族や大切な人に少しでも幸せな気持ちになってもらえたり、励みになれるような存在になりたい。

叶えたいではなく、必ず叶える。