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茜色の空を聴きながら

​​夕暮れ、ゆりかもめから見える湾岸の景色は、すっきりと晴れ渡った秋晴れの土曜日おなごり惜しむかのようにゆっくりと茜色に染まっていった。

今まで、何度も乗っては数えきれないくらいの思い出を運んでくれたゆりかもめからの光景は、当たり前のように東京での暮らしの方が地元での生活よりも長くなった自分の目から少しだけ、新鮮さを失いつつある景色。
ゆっくりと下降してゆく飛行機を目で追いながらも視界に入るビル群、東京タワー、レインボーブリッジを初めて見た時に覚えた「真新しい場所」としての感動。それはすっかり昔のものとなり、何か真新しいものがもてはやされる世間と真逆のような気持ちで、「ここ、子供の頃に通った道だよ」などと友人とお互いに、今後使うこともなさそうな情報を交換しあっていた。

慣れることと、馴染むことと、陳腐さと。どれが適切かはわからないけれど、少なくとも、新しいレコードを買って家に帰るのとは、逆なことだけは確か。

当たり前のありがたさとも少し違っていて。もしかして、慣れを少し怖がっている?自分。

ゆりかもめを降りて、ライブハウスに入る。目的はサニーデイ・サービスのライブを見るため。

当日券があるって知って、昼時に旧知の友人を電話で起こし、連れてきた。
そういえば、彼と一緒にライブを見るのは、同じサニーデイ・サービスの日比谷野音以来だった。

その時、肩を組んで一緒に歌ったのだけど、大好きなコンサートは、できるだけ1人で座りたい。

僕は、普段から口数が多いと言われる。病気であまり話せなくなった時、「会うなら今だ」と言われるくらい、よく喋るらしい。
喜怒哀楽や、愚痴、明日の夢や希望を口にすることは大好きなくせに、自分の中で言葉として形容できない感情を、口以外で表すときは、目線やしぐさ、頬のゆるみや口元を見られるのをあまりにも恥ずかしがってしまう。

サニーデイ・サービスのステージが始まった。「恋におちたら」「夜のメロディ」「いちご畑でつかまえて」。今、このバンドとは関係なく目の前で歌ってほしいバンドがいるとしたらきっと今夜のサニーデイ・サービスのことを言うに違いないくらいに、信じられないようなセットリストで進行していく。それ、反則。

なんとなく椅子から立ち上がるタイミングを逃したままステージは進む。
目を閉じて、下を向きながら、マスクの下では全ての歌詞を口ずさむ。
途中で後ろを振り返ると、友人は立ち上がり、満面の笑みで、僕に会釈する。楽しそう何より。
言葉にしなくても、顔でわかる。そんな付き合い。

45分間の夢心地。終わった後に、なんだかその空気から離れるのがもったいなくて、
近場の喫茶店に入り、一緒にセットリストをプレイリストにまとめてみる。
そういえば、僕らいつ知り合ったんだっけとか話しながら、「あれ行った?」「これ、どこで見てた?」と思い出のすり合わせをしてみた。案外、かぶってた。

いい加減帰る時間になり、早く帰る方法はあったのだけど、まだライブハウスの中の余韻への未練からわざと時間のかかるゆりかもめに帰りも乗った。

「歳を重ねるにつれて、24時が好きになる」彼は帰り道、コーヒーを飲みながら僕にそう言った。

冬になるとなんだか聴きたくなる彼らの5枚目のアルバム。
発売当時、インタビューなどで過酷そうな制作過程を見て、学生だった僕には受け止めることが少し重かった1枚。
僕たちの知っている大体の感情がメロディと歌詞の中に詰め込んである。


まだ社会に出る前の学生身分ではそこまで人生経験や知識のバリエーションが少なくて、少しだけ複雑だった。

単なる音楽以上の複雑な物事が頼んでいなくてもやってくる大人時代になればなるほどわかってしまう。なんということだ。

とか言ううちにやっぱり余韻に浸りたくなり、黙ってすっかり茜色から初頭の黒さに変化した景色を窓から眺めていた。

素敵な週末についてや休日を連想させる曲がサニーデイ・サービスにはいくつかある。

今を感じるよりも、「明日はきっと最高の1日になったらいいな」と願ったらサニーデイ・サービスを聴けばいいってなんとなく思っている。

途中、友人は乗り換えでさよならし、1人新橋駅を歩きながら、今日のセットリストをまとめたプレイリストを聴いてみる。

完璧に近いんだけど、もう1曲、それがあればもう言うことなしの内容だったかもなぁとか思いながらクリスマスイルミネーションに飾られたSLの前を歩く。

シルバースター。今日、演らなかったな。

そういえば、もう1人、24時について、語っていた友人がいた。
それは5月の渋谷公会堂の帰り道だった。
自分よりもサニーデイ・サービスが好きそうな人に初めて出会い、少しだけ愛情に嫉妬した。シルバースターを次に見れる日に。

再会する理由、あった。

それまではどうかCast No Shadowで。

茜色の空から始まった歌は明日の期待を抱かせる。

慣れ親しんだ歌は、当たり前の大切さを勝手に染み込ませる。尊い。そこには陳腐さも飽きもなく、誰にでもくるはずの朝を待たせてくれる。

誰にでも似合う歌を創れるってすごいことなんだよって。

帰って、難しいことは考えたくなくてローリングストーンズを聴いた。


新しいzine作るか、旅行行きます。