審判に求められるのは『正しい判定』ではない
『プロスポーツの審判に求めることは?』
こう質問したら、ほとんどの人が『正しい判定を下すこと』と答えるだろう。
しかし、それは本当に正しいのだろうか。選手やファンが真に求めているのは、もっと別のことなのではないだろうか。
結論から言うと、僕は『違う』と考えている。選手(あるいはコーチ)やファンが審判に求めているのは、『正しい判定を下すこと』などではない。
『納得できる判定を下すこと』だ。
『納得できる判定を下す』とは
審判に求めているのは、あくまでも『正しい判定を下すこと』だと言う人もいるだろう。
しかし考えてみてほしい。TwitterなどのSNSでは、疑惑の判定があるとすぐ炎上騒ぎになるが、審判が常に正しい判定を下していれば炎上騒ぎも起こらないのだろうか。
当然そんなことはない。審判の判定が正しかったにもかかわらず、それを理解しない選手やファンによって炎上したことは何度もある。それは選手やファンが判定に納得していないからだ。納得していないから文句も言うし、その後に審判の判定が正しかったことがハッキリしたところで、それでも納得できなければ今度はルールそのものに文句を言うだろう。これは憶測や決めつけではない。実際に繰り返されていることだ。
対して、選手やファンが判定に納得していたらどうだろうか。仮にその判定が間違いだったとしても、それに文句を言うことはないだろう。だって納得しているのだから。
もちろん、正しい判定であれば、選手やファンの納得を得られる可能性は高い。しかし例えば、選手やファンがルールを正しく理解していなかったり、起きている事象を正しく認識できていなかったりするときには、無意識のうちに正しい判定を求めていないこともありうる。そんなときに正しい判定を下しても、それは疑惑の判定として炎上のタネになってしまう。
つまり、正しい判定を下すことは、納得できる判定を下すための手段でしかないのだ。
つまるところ、選手やファンは審判に対して『正しい判定を下すこと』を求めていると言いつつ、その実、『自分が正しいと思う判定の通りに判定を下すこと』を求めているに過ぎない。それこそが、選手やファンにとって『納得できる判定を下すこと』である。言葉にするとなんともわがままな要望だと感じるが、それが現実だ。
『納得できる判定を下すこと』の難しさ
『正しい判定を下すこと』と『納得できる判定を下すこと』ではどちらがより難しいだろうか。
もちろん、『正しい判定を下すこと』は容易なことではない。競技規則を網羅した上で、目の前で繰り広げられるプレーの数々を細部まで観察し、全てに正しい判断を下す必要がある。ときには競技規則には書いていないことまでも、その競技の原理原則に照らし合わせて判断する必要もあるだろう。
一方で、『納得できる判定を下すこと』は、対象を特定の人に限定すればそれほど難しいことではない。その特定の人が審判をすればよいのだ。そうすれば、納得のいかない判定などというものは生まれない。
しかし、『全ての人に対して納得できる判定を下すこと』となると、それは『正しい判定を下すこと』とも比較にならないほど難しくなる。それは、『納得できる判定』が人によって異なるからだ。人によって答えが異なるのに、全ての人に対して正解を出すのは不可能だろう。
だからといって、『納得できる判定を下すこと』を放棄して、『正しい判定を下すこと』だけにフォーカスすることが正しい姿勢であるとは思えない。では、どうすればいいのだろうか。
『納得できる判定を下す』ために
ここまで書けばゴールはだいたい想像できるだろう。『選手やファン全員に納得できる判定を共有させること』だ。『納得できる判定』、言い換えれば、『判定の基準』を全員に共有させることができれば、『全ての人に対して納得できる判定を下すこと』への道も開けるだろう。
ただしこれは、審判ひとりひとりの努力ではどうにもならない。『正しい判定を下すこと』であれば審判の努力で何とかなるかもしれないが、判定の基準を全員に共有させるには、審判たちが所属する協会からの働きかけも必要になるし、何より選手やファンの協力が必要だ。
選手やファンが審判に対して求めている、『納得できる判定を下すこと』を実現するためには、もちろん審判の努力も必要だが、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、選手やファンの協力こそが必要であると僕は思う。
今回、一番言いたかったのはこの部分である。昨今のBリーグ界隈での審判の判定に対する選手やコーチ、ファンの言動を見ていると、全ての人にとってストレスのない試合を作り上げるために欠けているのは、選手やコーチ、ファンの歩み寄りであるように感じる。
JBAによる競技規則のまえがきにもあるように、競技規則の精神を発揮するには、プレーヤーと審判と観衆と指導者との四方向からの努力が必要である。これはバスケットボールに限らず、全てのプロスポーツに共通する話だろう。
競技規則の精神がゲームに発揮されない原因を審判だけに求めているようでは、全ての人にとってストレスのない試合が実現される日は訪れない、と、僕は思う。
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