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これまでとこれから①〜自分のための自己紹介〜


最初に  

「自己紹介」は伝える相手がいて成り立つものと解釈すると、これから書くのは自己紹介ではないと思う。

私のこれまでとこれからをただ書いていきたい。
今は誰かのためではなく、自分のために。

生まれて(1998年-)

最初の感情は「不安」。
どこに行くにも不安で家族以外はまともに話せないほど人見知りだった。

言葉を発するのに今思うと周囲の人の数倍労力を使っていた。
一言話すだけで頭の中がぐるぐるして、たくさん考えてやっと言葉を発する。当然複数人で繰り広げられる会話にはついていけずいつも相槌を打つだけで精一杯。いつからか、家族に対しても言葉を選ぶようになっていった。

必要以上に相手に気を使い、言葉を選び、誰かと一緒にいると疲れてしまう。

しかし、周囲の大人は「ひとりでいる」ことを受け入れてくれなかった。
小学校、休み時間に一人で過ごせば先生から呼び出されて「友達いないの?」と聞かれ、前のクラスでよく遊んでいた人をヒアリングされ翌年同じクラスに入れられた。(入れてくれた)

なるほど、大人はこどもが一人でいると心配になるらしい。
それからは大人たちの目を気にしてグループに所属し、休み時間もクラスメイトと遊ぶことを心がけた。

中学生(2011年-)

中学校はこれまでの人生で一番辛かった。
これは余力のある時にでもまた。

高校受験期に進学する多くのクラスメイトが塾に行きはじめた。
私も通いたかったが両親から「お金がかかるから、、」とやんわり断られた。別に頼み込めば行かせてくれたかもしれない。

でも当時の私は「家にお金がないという理由でこども(私)が塾に行けないなんてひどい。」と強く思った。他の子は塾に行きたくないと言いながら高いお金を払って塾に通っている。一方私は行きたいのに行けない。

それまであまり感じたことがなかった「格差」というものがこれなのかな、と思った。同じ時期に新聞で家が貧乏で給食費が払えないから学校にも行けなくなった中学生の記事を見た。「この子は何も悪くないのに、貧乏な家に生まれたというだけで学校に行きづらくなるのか」とやるせなさを感じた。

生まれてくる家を選べるわけではない。
自分で現状を変えるパワーもない。
だから受け入れるしかないの?

そんな疑問が渦巻いていた。

そんな時、月1000円でオンライン授業が受けられるサービスを知った。月1000円ならと家族がお金を払ってくれて使い始めた。正直そこまでまじめに受講できていたかと言われると微妙。だけど「オンライン」「IT」というもので仕組みを考えてサービスを作れば、多くの人に安く提供できる、ITで不平等を解消できると知り希望が持てた。

高校生(2014年-)

高校は一言でいうと、とても楽。
良く言えばのんびりと穏やかに過ごせた。
悪く言えば刺激が本当になかった。(自分で行動しなかったので当たり前)

高校1年生の時に担任の先生から「これではどこの大学も行けないね
と言われたのが悔しかったのと勤勉なクラスメイトの影響を受けて勉強はだらだらと続けた。

親や先生、周囲の友達の影響だが「大学に行けば給料の良いところに就職できて安定した生活ができる」というよくある話を当たり前として受け入れ当然のように大学進学を目指した。

大学は宇宙が好きだから物理学科。
別に高校で物理が得意だったわけでも特別好きだったわけでもない。
ただ、中学生のときからずっと「宇宙」という果てしなく広いものを想像することで目の前の苦しさから解放される感覚があった。今自分が見ている星の光は何年も前に発せられたものだということにとてつもない魅力を感じた。もしかしたら、地球以外にも惑星があって誰かが生きているのではないか、その人と友達になれないかと本気で思っていた。(今も思っている)「どうして今自分はここに生きているのか」という問いは「宇宙がどうやってできたのか」これを解明することで解けるのではないか。

宇宙の本を読んだけど数式が出てきてよくわからない。本を書いてる人が物理学者だったので「物理を学べば理解できるのかな」という思い、そして「大学で使う実験機器は数億円する」という誰かに聞いた話に魅了され物理学科に進学した。

大学生(2017年-)

大学に進学して初めて一人暮らしをして、解放感でいっぱいだった。
初めて「自由」になれた気がした。

とは言ってもお金がないので進学早々アルバイトを探す。
どうせならただ稼ぐだけでなくためになることをしたい、と何を思ったかアパレル販売員の募集に応募した。

人見知りでコミュニケーションがとても下手な私がなぜか採用された。(今思うと人が足りなかっただけ)

このアパレル販売の仕事がこれまでの殻を破って変わる最初の一歩だったと思う。

ユニクロのようなファストファッションではなくまあまあお高いセレクトショップだったので当然接客がメイン業務になる。お客さんがとっても少ない館(ショッピングモール)なので「お客さんが入店したら15秒以内に最初の声かけ」と言われていた。まあそんなものなのだろうと仕事なのでとりあえず声をかける。コミュニケーションは苦手だったが仕事だと割り切れば声をかけることもできるし、声をかけたお客さんが応えてくれれば意外と普通に話せるんだな、という新しい発見があった。

そしてコミュニケーションが超絶苦手だと思っていた私は、実は販売員に向いているのではないかとだんだんと思うようになる。最初こそ話しかけても無視されたり逃げられたりしていたが言われた通りに15秒以内に声をかけ続けているうちにコツが掴めてきた。入店後のお客さんの歩くスピードや目線、表情。それらを観察して声をかけて反応を見る。これを繰り返すとどうやって最初の声かけをしたら良いか、パターンが見えてくる。
そしてこれまでコミュニケーションが苦手だと思っていた最大の原因「相手の考えていることを深読みしすぎて常に気を使ってしまう」(から自分が疲れる)が逆に販売という仕事においては強みにもなるのだと分かった。

「初対面でどれだけ相手(お客さん)の心を解けるファーストアプローチ(声かけ)ができるか」これはただ話すのが好き、コミュニケーションが得意だからできるものではない。相手が何を求めているか、瞬時に読み取って適切な対応を「選択」する。私にはこれが向いていた。

そして「どうやったらお客さんが買いたいと思うか」「どうしたらまた来店したいと思うか」これを考えるのも純粋に楽しかった。

結局大学時代は4年間を販売の仕事に費やし、終えた。
他にも研究したりはもちろんした。(単位もぎりぎり)
4年生のときは、世に言う理系学生と苦学生のイメージそのままみたいな生活を送っていた。朝5時からコストコでティラミスを作り、10時から翌朝5時まで研究室で実験をして、帰って3時間寝て進捗報告でまた大学へ、夕方6時にイタリアンのバイトへ行って夜10時に大学へ。
今思うと少しおバカな生活をしていた。

社会に出て(2021-)

「ITの力で教育格差をなくしたい」
面接でそう言い続けて、とある大手のITベンダーにシステムエンジニア として入社した。理由は大きな会社なら新しいサービスを作ったらすぐに広まって、早く届けたい人に届けられそうだから。

とにかく会社は楽しかった。
仕事があっても睡眠時間は確保できて、「休日がある」ということが私の視野を大きく広げた。いろんな場所に行き、様々な人に話を聞いた。

東京に来て、とある会社の経営者に出会った。この人の話が私に大きな影響を与える。

「こどものとき貧乏だった。友達が持っているゲームを自分は買ってもらえず悔しかったからお金を増やす方法を考えた。」

月100円のお小遣いを使い駄菓子屋で1個10円で買ったゼリーを家の冷凍庫で凍らせ、離れた公園で1個20円で売る。付加価値を付けて売って誰かに喜んでもらう、欲しかったゲームを得るより商売の方が楽しくて続け、大学生で起業した。

この人の叔父は経営者だったという。
ここからは私の想像だがきっとたまに会う叔父の影響があったのではないか。「欲しいものを買ってもらえず、お小遣いでも買えない。ならば自分で増やすしかない。」

こんな考え、私はできなかった。私は無意識に
「お金がないからできない」
「今の環境を変えることはできない」
そう思い込んでいた。
きっとこの思い込みも周囲の大人によって形成されていた。当たり前だけどそれに気づくこともなく。

もちろん、お金がないと受けられないサービスはたくさんあるし、お金があったほうが楽に進学できる。

でも、どんなに貧乏でも、、
周囲に多様な大人がいれば
誰か一人でも理解してくれる大人がいれば
こどもの可能性は広がり、狭い世界で生き辛さを抱えるこどもはいなくなるのではないか。

子供の時に出会った大人の存在、周囲の大人によって子供が受ける影響は計り知れない。

「貧困」「教育格差」をどうにかしたいと思っていたし、今もそう思う。
でも今はそれ以上に価値観を広げてくれたり、多様性を認めてくれる大人が周囲にいないということが問題だと考えている。

「生き方」の選択肢を知らない、狭い世界で生き辛さを抱える人をなくしたい。

そう思って生きている。

人との出会いは偶然と奇跡の連続。だけど子供に親ガチャ、環境ガチャがあるのは悔しい。

生まれてくる場所や親・保護者は自分で選べない。
だからこそ、周囲の大人たちがもっとこどもに関わっていける世界にしたい。


最後に、、よく使う「整った」自己紹介も書きます。
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筑波大学理工学群物理学類を卒業後、新卒でITベンダーに入社。
中学生の時に経済的な事情で塾に行けなかったことから「教育格差」を無くしたいと考える。しかし、社会人になり多様な生き方をしている大人と出会ったことで考え方が変わる。子供にとって問題なのは「お金がない」という事実より「価値観が周囲の大人によって決められ、多様な生き方の選択肢を知る機会がない」状態だと気づく。「生き方」の多様性を狭い世界で生きづらさを抱えながら過ごす子供達に知ってほしいと考えシステムエンジニアとして働きながら、こどもと大人の関わりを作るNPO*で活動している。
*NPO法人バディチームで子育てパートナーとして里親家庭への養育支援、中高生と社会人の対話の機会を作るNPO法人アスデッサンでマーケティング担当として活動
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