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おお、神よ。


あなたは、神様を信じますか?

なんとも胡散臭いセリフだ。日本人が嫌いな言葉ワースト3に入ってそうな言葉だ。このセリフだけでその人の信用は遥か彼方へ消え失せるレベルだ。

こんな風に言う私だが、なんと信仰がある。

どんな信仰かは想像にお任せするが、私には神様がいる。戒律的なものもある。つーか父が出家している。ズブズブのズブだ。

だからと言ってその娘が生真面目に信仰しているか、と言うと申し訳ないが違うのかもしれない。


私はその世界では出来損ないだ。

父の顔に泥を塗りまくっている。


信仰のある世界が疎まれる一般的な考えとして、「洗脳されている人たちが怖い」というのが上がると思う。布教活動で怖い目にあった、親を親と思えなくなった等よく聞く。

わかる。怖いよね。なんかヤバく見えるよね。内側にいてもそう思うもん。出来損ないはそう思いながら日々を過ごしている。

いや、父のことはマジで尊敬している。ちゃんと親だと思ってるし、ストイックである父を誇りに思う。信仰心の薄い娘だからといって邪険にされたことなど一度もないし、「お前みたいな奴には天罰が下るんじゃ!地獄に堕ちろ!」みたいな態度を取られたことも一度もない。


でも。

私は出来損ないである。布教活動をしたことがない。

私は外の世界を知らない。知らない人の生活が、気持ちがわからない。なので踏み込めないのである。

喧騒あふれるこの世界で、今日も誰かの人生に光がさしますように。少しでも世界が、世界にとってよくなりますように。毎朝祈る。私にはこれしかできない。



私は信仰があるものの、色々な神様を調べるのが好きだ。たくさんの神があり、その一つ一つに信仰がある。小さな神社の古い木にも土着信仰があり、世界中にそれぞれの神を信仰してきた時代がある。


神を信じない人を否定するつもりはない。

が、人が信じた心を否定するのは悲しいことだと思う。

その人の世界に神が居ようと居まいと、「いい人であろう」「いい世界にしよう」と考えている者はごまんといる。素晴らしいことだと思う。

ということは、信仰があろうと悪い人も居るし、それを利用して戦争をしてやろうと考える者もいる、と言うことだ。

結局心の根っこでちゃんとしていないと、信仰云々の前に意味がないのだ。


私はもし、「神など存在しませんでした」と世の中がなっても、今の人生観を変えるつもりはない。

「いないんか〜い!もう知らん。好き放題したるわ!」とは思えないと思う。

私が信仰の中で学んだことは確かに血肉になり、「この魂が尽き果てるまで世の中にとって良き人物であろう」という精神を忘れたくないからだ。

誰かに迷惑をかけない、地球にとって世界にとって、誰かと振り合った袖先で「あなたと出会えて幸運だった」となる為に日々努力を惜しまない。


ただ悪い人は滅んでほしい。世界にとって、この町、知り合いにとって悪い人。どうなったことかは知らん。無尽蔵にどうにでもなれと思う。

悪い人がどうにかなったら「ほれ見たことか!」と笑いながら思うだろう。

信仰があってもこんな風に思ってるので、やはり世の中が良くなるなんて凄い先のことなのかな、と他人事のように考えたりする。


未来など、神のみぞ知る世界なのだ。




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